刻む、耕す。
腹膜透析を開始してから、かれこれ5カ月経過しました。当初は、「人工透析=血液リセット」というイメージで、血液透析であれ腹膜透析であれ血液自体を濾過するのだから透析することによって体内の毒素はきれいに浄化され瞬間的にでも「健康血液」になるものだと思ってました。が、実際は、障がい者認定基準の「クレアチニン5.0」は下回るものの毎月の検査では、せいぜい「4.5」あたり・・・たしかに透析前よりは身体が楽になった感触はあるのだけれど1日4回、眠くてもしんどくても、何が有っても律儀に透析液交換をしてきた割には、「劇的」な変化は体感できません。それでも、透析開始前には、わずか数カ月でクレアチニン値が「3.5」⇒「4.0」⇒「4.5」⇒「5.0」と加速度的に上昇していたことを考えると多少なりとも数値が下がっていることとそれを維持できてることで満足すべきか・・・一喜一憂していてもよろしくないので、 ・塩分過多 ・総カロリー(特に血糖スパイク)過多 ・カリウム(野菜ジュースは禁止されました。)過多に注意して、変なストレスを貯めぬよう生活します。それはそれとして、先日、齢(よわい)64となってしまった身として「この先の人生を如何に生きるべきか!?」ということが頭に浮かぶことが増えています。以前にも書きましたが、「残り人生10年」と覚悟すると(実際は、明日命終が尽きるかもしれませんし、 あと50年生きるかもしれませんが・・・)特に欲しい物や、行きたい所(そもそも現状ではかなり制限有り)やりたいこと・・・などが渇望的に存在することもなくなり、「とにかく何か後進に残せること」に注力しています。それでも、自分なりに「何らかの生きた証」のようなものが欲しくて ・共通テストはこの先も受験する。 ・「断捨離」に反するが、読みたい(読むべき)本は読む。 ・できれば、今抱えている弟子(受験生)を志望校に入れるなどは何とか実現していきたいと考えています。そんな中で、はた!と感じたことが、「過去読んだ本や見た映画など、己の血肉となっているはずだがその内容を覚えている作品が何だか少ない。」大量に所持し、むさぼり読んでいた漫画はそれなりに頭に残っていて、折に触れセリフなどが出てきます。が、実用書などの内容は頭と体に染みついているはず・・・としても、あれだけたくさん読んだ文学作品とか小説はあんまり内容を思い出せません。これも、我が体に染み込んで血肉となっているはず!と思いたいのですが、何だかとっても悔しいのです。という事で、脳細胞が最も活性化していたであろう時期の中学・高校時代に没頭して読んだ「夏目漱石」を読み返してみよう・・・。以前、表紙の美しさに魅せられて愛読していた「旺文社文庫」の夏目漱石の本を何点か入手していたのでこれを読んでみるか・・・↑こんな本です。ところが、この時代の文庫本のフォントは何だか読みにくい上に字が小さい!!!若かりし頃は、よくもこんな小さな文字を平気で読み漁ってたもんだ!と思います。これではアカン。もう少し現代風のフォントの新しい版でなおかつもう少しデカい本は無いか?ということで、1984年に刊行された「ザ・漱石」(冒頭画像)発売当初にも買って読まずにそのまんま・・・引越の際の「第1次断捨離」で処分したやつ・・・をネットで探して「送料込み600円」でゲット!本日届いたので、さてさて読み始めてみようか・・・と中を開くと文庫本よりも更に更に小さい文字がぎっしり!「文庫本の文字が小さくて読めない」(右下のが件の文庫本の文字)からこそ、この大きな本を買ってのだけれど、そりゃあ「330万文字」をこの大きさ(A4とB5の中間くらい)とは言え「752ページ」に収録するのだから「1ページあたり4388文字=400字詰め原稿用紙10枚以上」では、こうなるのは無理からぬこと・・・これに比べると、文庫本の文字の大きいこと大きいこと。はたして、「ザ・夏目漱石」は読破できるのか?夏目漱石の次には、数回の「断捨離」を生き残った「S級の蔵書」であるところの「安部公房全集」「立原道造全集」が控えております。過去の一時期とは言え、エネルギーを費やした作品はもう一度この身と脳に刻んで荒れた脳みそに鍬を入れ、少しでも良い土壌になるよう日々開墾していこうと思っています。あ、そう言えば中学~高校の頃に、少ない小遣いでせっせと文庫本を買い漁っていたのは良いが、「吾輩は猫である」は、確か比較的分厚くて値段も他の作品より高かったせいでこの作品だけは終ぞ手にすることが無く読んでなかった! 「王道の漱石」 「アバンギャルドな安部公房」 「センシティブな道造」 ↑それぞれ私的な印象による勝手な冠付けです。で、3方位から脳を耕すことが出来そうです。