カテゴリ:ジャズ
異国情緒とは、ある意味誤解の連続なのだろうか
ジョー・ヘンダーソンは1937年生まれのテナー・サックス奏者。1963年以降、ブルーノートをはじめいくつかのレーベルに作品を残している。1972年にはブラスロックバンドのブラッド・スウェット・アンド・ティアーズ(アル・クーパーが開始し、ころころとメンバーが変わった)にも参加したが、その音源は現在のところ未発表らしい。60年代に多くの作品を残したが、その後も90年代に至るまでアルバムを吹き込み、2001年に亡くなっている。 彼のリーダー作で筆者が聞いたのは本作のみ。したがって、ここで述べるのは、まるっきりこの一作での感想であることをお断りしておく。 本作『ページ・ワン』は1963年の初リーダー作。後にジャズのスタンダード曲となった1.「ブルー・ボッサ」で有名なアルバム。個人的にもこの曲はお気に入りで、要するに曲が好きなので、他のどのアーティストが演奏していてもとりあえず聴いてみたくなるのだけれど、やはりヘンダーソンの演奏がベスト。 だからといって、この1曲しか聴かないというのではなく、他も聴いてみるべきだ。「ブルー・ボッサ」はボサノバ風の曲だけれど、4.「レコルダ・メ」(ポルトガル語およびスペイン語でRemember Meの意味)も同じくボサノバ風のテイストの曲だ。本当ならRecordameと一語で綴られるはずの単語がなぜかRecorda Meと二語で綴られているのがほほえましい、というよりも怪しい(ちなみに2.の曲名もポルトガル語だ)。 要するに何が言いたいかというと、ブラジル・ポルトガル語のことをよく知らないけれど、「ブルー・ボッサ」であり、「レコルダ・メ」なのだ。もしかするとブラジルを誤解したままこれらの曲は作曲されたり、演奏されたのかもしれない。 そんな「誤解」を想像させるのには、さらなる理由がある。一緒に収められている5.「人力車」という曲だ。ヘンダーソンはこの吹き込み時以前に来日経験があったという。けれど、アルバムの原盤ライナーを書いたケニー・ドーハム(本作に参加のトランペッター)は「中国の、人を運ぶカートのこと」などと解説している。しかも、この曲を聴いてみてもどこが「東洋的」なのかさっぱりわからない。もし、「中東の夜」というタイトルがついていたら、なるほどそんな雰囲気と聴き手は思ってしまうような、いい加減なイメージの曲だ。 とまあ、悪口ばかり書いているように聞こえるかもしれないが、「ブルー・ボッサ」も、「レコルダ・メ」も、「人力車」も、いずれも名演奏に仕上がっているところが、このアルバムの不思議なところ。きっと、想像上のブラジル、(来日はしたとはいえ)何らかの誤解をはらんだままの日本が曲に反映された。日本人やブラジル人が聴いたら、「どこが日本的(あるいはブラジル的)なの?」というかもしれない。しかし、音楽はある意味ではイマジネーションによって創造されるもの。日本で聴くジャズだって、日本人の勝手な思い込みでアメリカのイメージを膨らませながら聴いているという側面が往々にしてあるのだから、いいではないか。 できあがった演奏が心地よければそれでいいのだ。聴き手それぞれの思い込みたっぷりに、好きな解釈で楽しめば、あるいは解釈などという小難しいこと抜きに聴いてみれば、仮に着想が誤解であっても、そしてそれでいいのだと思う。 [収録曲] 1. Blue Nossa ←おすすめ 2. La Mesha 3. Homestretch 4. Recorda Me ←おすすめ 5. Jinrikisha ←おすすめ 6. Out Of The Night ←おすすめ Kenny Dorham (tp), Joe Henderson (ts), McCoy Tyner (p), Butch Warren (b), Pete La Roca (ds) 録音:1963.6.13 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
[ジャズ] カテゴリの最新記事
|
|