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カテゴリ:生きる
以前勤めていた学校は、俗に「底辺校」と呼ばれる学校で、生徒たちの多くが勉強に対するやる気を失っていた。教科書をちゃんと持ってくる生徒はクラスの三分の一程度。理由を問い詰めると「忘れた」「とられた」「なくした」とハンコで押したような答えが返って来た。
ある時生徒と話をしていると、一人の生徒が「センセ、俺らはな、今楽をして後で苦しむんや。今勉強しているやつらはな、今苦しんで後で楽するんや。それでええんや」と言う。その言葉にとても違和感を覚えた。 同じ「楽」という字を書くけれど「ラクだ」ということと「たのしい」ということは全然違う。彼が「楽をする」ことを「とても良いこと」の様に話すのでちょっとショックだった。 「もしかして楽をするのが楽しい人生だと思っている?もしそうならそれは違うよ。実は"楽なこと"の中に本当の"楽しさ"はないよ。"楽しさ"があるとしてもその楽しさは薄っぺらい。でも"苦しいこと"の中にすごく大きな"楽しさ"が入っていることがあるんだよ」と話した。 彼はきょとんとしていたから、私の言いたいことは伝わらなかったのだろうと思う。私もそれ以上は上手く説明できなかった。 人は少しでも楽をしたいと思う。でも実際に「楽な人生」が楽しいかというとそうではない。苦しくても何かの目標に向かって努力している方が楽しい。苦しくてもそのことをやり遂げた後の達成感は大きい。楽をしていてはその楽しさ・達成感は味わえない。 自分自身を振り返ってみても、「楽しいから始めたこと」よりも「やっているうちに楽しくなった」ことの方が断然多い。スポーツだって楽器の練習だって、「面白いから練習する」のではなくて「練習しているうちに面白くなってくる」のだと思う。それも難しい所を越える度にどんどん面白くなってくる。 「楽をしたい」「楽しいことがあればそれをしよう」と思っているうちは「本当の楽しさ」には出合えないと思う。「こんなことつまらない」「こんなことしても意味がない」と決めつけてしまわずに、何かに打ち込んでみること。そして難しい所をもう一歩頑張ってみること。それが楽しさを見つける方法だと思う。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
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