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カテゴリ:生きる
先日、友人(40代)が「医療事務の勉強を始めた」と話してくれた。パートで一般事務の仕事をしているが、今後のことを考えて挑戦すると言う。私もずっと勉強していることがあるので、「偉い!頑張って」と言葉をかけた。すると彼女が「なかなかそうは言ってもらえない」と言う。
「その歳で勉強を始めてもねぇ」「資格を取ったからって仕事に就けるわけじゃないわよ」同年代の友人たちから返ってくる言葉は、否定的なものが多かったそうだ。 確かに資格を取ったからといってすぐ仕事に結びつくとは限らない。仕事に結びつけるにはコミュニケーション能力や運、人脈といった様々な要素が必要だ。 でも、だからといって何もしなければ何も始まらない。「資格を取ろう」と思ったのなら、まず頑張ってみたらいい。資格をとってみて他に必要なことがあると感じたら、その必要な条件をクリアする手立てを考えればいい。動き出さなければ何も始まらない。 彼女の友人たちの言葉を「少し意地悪だな、"やっかみ"なのかな・・・」と思った。 人の心は複雑だ。仲の良い友だちが頑張る姿を見ると、何となく寂しいような悔しいような、置いて行かれるような気持になるものだ。意地悪な言葉の裏には前向きに挑戦する彼女を羨ましく思う気持ち、やっかむ気持ちがあったのかもしれない。 この"やっかみ"世の中では思いの外多い。友人の例などはまだかわいい方だ。 『五体不満足』で有名になった乙武洋匡さんは、以前2チャンネルでひどい中傷を受けたそうだ。私は見なかったので内容は知らないが、書きこみを読んだ友人が「目を覆いたくなるようなひどいことが書かれていた」と話してくれた。 その話を聞いた時も「ねたみ・やっかみだ」と思った。自分より下だと思いたい乙武さんが、自分よりもはるかに素晴らしい活躍をしていることが悔しくて仕方がないのだ。「偉いなあ」と素直に認める潔さも、「自分も頑張ろう」と一念発起する根性もなく、相手を中傷して引きずり下ろそうとする。中傷する人の心の醜さが浮き彫りになるだけだ。 人生で与えられる時間は限られている。ねたんだりやっかんだりして時間を使ってしまうことほどつまらないことはない。何かに一所懸命になっている人には、ねたんだりやっかんだりしている暇はない。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
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