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2011年08月29日
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カテゴリ:社会問題
 朝日新聞広島総局、加戸靖史記者は、10日の紙面で原子力発電も核兵器も人類に災禍をもたらすという点で同じであることを、次のように論証している;


 8月6日、広島。平和記念式で、広島市長も首相も広島県知事もみな、「核兵器廃絶」への決意を述べた。記者席で私は思った。自分は今まで何度、「核兵器廃絶」を「核廃絶」と縮めて書いてきたことだろうか――。

 「父が言っていたのは『核と人類は共存できない』です」。広島の反核運動を率いた故森滝市郎氏の次女春子さん(72)に3年前、たしなめられたことがある。

 彼の持論をうろ覚えで「核兵器と人類は共存できない」と口にした時だった。平和利用も含めた核の「絶対否定」こそが森滝氏の思想の神髄だった。だが私はその後も「核=核兵器」と短絡し、平和利用の問題を深く考えてこなかった。

 朝日新聞の過去の見出しを調べると「核廃絶」は1973年に初登場する。広島、長崎両市長がフランスの核実験に抗議し、核兵器廃絶を要請したとの記事が、見出しで「核廃絶」とされていた。その後は50年代以来の「原水爆禁止」に代わり、広く使われるようになったようだ。

 新聞記者出身の元広島市長平岡敬さん(83)は「僕は『核廃絶』は決して使わなかった」と言う。原発を「文明上の必要悪」ととらえ、核兵器と区別するべきだと思っていたからだ。ただ、そこまで考えて核と核兵器を使い分けてきた人はおそらくマスコミでもほとんどいなかった。

 「たかが言葉の問題」と言われるかもしれない。しかしそもそも、英語の「nuclear weapon」(核兵器)と「nuclear power」(原子力発電)が日本語で「核」と「原子力」に書き分けられたころから、「核兵器と原発は別物」との意識が根付いてしまったのではあるまいか。

 だが東京電力福島第一原発事故は、私自身の「核」への甘い認識を根底から崩した。

 森滝氏は、核兵器はもちろん、ウラン採掘、核実験、放射性廃棄物に至るまで、核が常に社会的に弱い立場の人々を脅かす存在であると悟り、「核と人類は共存できない」と喝破したという。多くの住民が放射能の脅威にさらされている福島の現状を見るにつけ、森滝氏の言葉が重みを増していると感じる。

 核兵器廃絶運動に尽力してきた被爆者の多くも「原爆も原発も同じだと、初めて思うようになった」と声をそろえる。私たちは今こそ、「核=核兵器」との発想を超え、核と人間との関係を、真剣に考え直さなければ、と思う。 (かどやすふみ 広島総局)


2011年8月10日 朝日新聞朝刊 12版 8ページ「記者有論-『原発は別』の意識改めよ」から引用

 核兵器は言うに及ばず、原子力発電も完成された技術ではないことが、この度の福島原発の事故で証明されたのみならず、事故を起こす以前に、使用済み核燃料を安全に処理する技術が未確立であることや、正常稼働していても尚、労働者の被曝を伴う作業なしには維持できないことなどでも証明されていると言える。事故を起こさない限り、電力会社経営者が被曝することはないし、電力会社に正社員として雇用されるような社会的に恵まれた立場の労働者も被曝を免れるが、社会的に弱い立場の労働者は被曝労働を強いられる。このような差別をもたらす原子力発電所という存在を、私たちの社会は許すべきではないのではないか。







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最終更新日  2011年08月29日 19時36分43秒


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