中央大学教授で教育制度・行政学が専門の池田賢市氏は、2日の朝日新聞に寄稿して、大阪府の教育基本条例案を次のように批判している;
大阪維新の会(代表=橋下徹・前大阪府知事)が府議会に出した教育基本条例案が、大きな波紋を広げている。府立高等学校PTA協議会は10月、条例案の見直しを求める嘆願書を橋下氏らに提出した。親として見すごせない条項が盛り込まれているからだ。
たとえば10~11条では保護者に対し、学校運営への参加として、部活動への助言、校長や教員の評価、使う教科書についての協議などを求める。だが、親たちが学校にどの程度かかわれるか、それは家庭によってまちまちだ。もし学校へ定期的に通うとなれば、親同士の貢献の度合いに格差が生じ、トラブルにもなりかねない。
ただ、こうして親の貢献を促しながら、「保護者は教育委員会、学校、校長などに対し、社会通念上、不当な態様で要求などをしてはならない」ともいう。
この「態様」を判断する主体や基準が示されていない以上、「文句をいわずに学校に協力しろ」といっているように読めてしまう。条例案の前文で、教育に対する「民意の反映」を強調していることと矛盾を感じる。
条例案にある「教育委員会の見直し」も、広く住民の声を聞こうとするものとは思えない。
そもそも教育委員会という存在が、政治からの中立と、民意の反映を意図するものだったはず。それが、戦後から長い間をへて形骸化し、時代の様々な要請にこたえられなくなったというのなら、教育委員を公選制に戻せばいい。委員会を、学校とつながった実質的な議論ができる場として活性化させるのも、有効な一手である。
ところが条例案だと、教育委員は、知事の定めた目標にむかい、責務を果たさなければ罷免(ひめん)される。これでは、政治家の意向ばかりが反映され、民意を軽視することになってしまうだろう。
私は条例案を読み、危険な予感を禁じえない。維新の会は、学校の現状や家庭への影響を見ていないのではないか。そうでなければ「3年連続で定員割れした高校は、統廃合の対象になる」という趣旨の案が入るはずがない。これは民間会社の競争原理、効率主義にそった考えで、教育行政が本来果たすべき「学ぶ権利の保障」に反するといえるだろう。
財政上の効率だけでなく、地域や生徒の事情に応じ、柔軟に教育できる環境を整えてほしい。維新の会は、その環境整備のため、悪戦苦闘している教員や親たち、そして「安心して学びたい」と願う生徒たちの声に、もっと耳を傾けるべきだ。それが真の意味で「教育に民意を反映させる」ということではないだろうか。
2011年12月2日 朝日新聞デジタル 「〈私の視点〉大阪教育条例案 民意反映しない危うさ予感」から引用
大阪府の教育基本条例案がもつ基本的な矛盾や問題は、この記事が指摘するとおりである。橋下氏も維新の会メンバーも、誰一人「教育」を真剣に考えておらず、それ以前に教育とは如何なるものか、まるで理解をしていない。浅はかな思い付きで作った条例を可決すれば、大阪府の教育は混乱し、被害を被るのは大阪府民である。そういう政治家を選んだ府民は責任がある。おそらく橋下氏は、府知事の仕事を途中で投げ出したように、市長の仕事も途中で投げ出すことになるであろう。