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カテゴリ:マヌケな昔話
数日前、上の子に、バブル経済について訊かれました。我々親世代は一応バブル時代をリアルタイムで経験しているので、特に消費面での今との違いについて知っている限りのことを答えたのですが、どうにもきちんと答えた自信がありません。一般消費者目線で見れば「とにかく今と比べて金遣いが荒かった」の一言で済ませちゃいがちなんですが「何故そうなったのか」の説明ができなかったんですよね。上の子はある事情があって経済について勉強(?)している最中なので、もう少し突っ込んで説明した方が良かったのかな…とちょっと反省。
で、改めてバブル経済のメカニズムについて経緯をたどっていいくと、こんな具合になるのかな? (1)戦後の日本はいわゆる加工貿易、輸出産業を中心に発展してきたが、主要貿易相手国のアメリカは逆に貿易赤字に悩まされていた。 (2)そこで1985年にいわゆるプラザ合意がなされ、円高ドル安の方向に転換。合意前は1ドル250円前後だったのが合意後は1ドル150円前後にまで急激な円高となる。 (3)円高の結果輸出産業が不振となったため政府は内需拡大を企図。公定歩合を引き下げしたことも相俟って土地や株式に資金が集中する結果となる。また、輸出産業の側でも、工場の海外移転が進み、その跡地が再開発されるという事態が続出する。 (4)土地の価格は値下がりしないといういわゆる「土地神話」にも支えられ、地価は急上昇。多くの含み益を得た各企業は財布のひもが緩み、国内外の土地、建物、美術品まで買い漁るようになる。また、その影響は、個人消費にまで波及することになる。これがいわゆる「バブル経済」。 (5)個人消費が伸長したのは、「結婚してマイホーム」というかつての理想的な家族像が地価高騰の影響で実現しにくくなり、土地ではなく(高級感のある)モノの消費に傾倒するようになったのも要因の一つ。 (6)こんな具合にバブル経済が進行していったが、あまりにも地価が上昇し過ぎたため、政府は1990年に、不動産向け融資の伸び率を総貸出の伸び率以下に抑える「総量規制」の実施に踏み切る。 (7)総量規制がすべての要因とは言えないが、これを契機に金融機関がいわゆる「貸し渋り」「貸し剥がし」を行うようになったため、地価の上昇は抑えられるどころか急降下。企業は含み損を抱える状況となり、業績も悪化。株価も下落、個人消費にも金が回らなくなり1991年にはいわゆる「バブル崩壊」を迎え、そのまま「失われた20年」へと続くこととなる。 あ、私は専門家ではないので、ツッコミはご勘弁を(苦笑) ただ、こうして経緯を俯瞰してみると、バブル経済時代の消費者は結局のところ金融政策の掌の上で踊らされていたのかな~とは思いますね。 【送料無料】 社会文学の三〇年 バブル経済 冷戦崩壊 3・11 / 日本社会文学会 【本】 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
Last updated
2017.09.17 11:07:03
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