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2017年も残す所、1日となりました。
今年もいろいろなパフォーマンスに巡り会えましたが、内外で出会った公演のうち、自分のなかで文句なく最上のものは、ザルツブルク音楽祭「皇帝ティトの慈悲」でした。 あのクルレンツィスのザルツブルク音楽祭デビュー、そしてベテラン、ピーター・セラーズ(演出)とのコラボレーションで、事前から話題になっていた公演です。 公演じたいの感想は、このブログでも書きましたが、今振り返ってみて、いろいろな意味でまさにタイムリーであり、乱暴なことが多かったこの1年にふさわしい芸術のありかたのひとつを提示してくれた公演だったと感じます。 音楽的には、ウィーンフィルではなく、ロシア発祥(中央ヨーロッパではない)のピリオド楽器の団体が、ザルツブルク音楽祭のオペラのオープニング公演を飾り、それにふさわしい先鋭的な演奏を繰り広げたこと。 演出面では、現代に読み替えたのはもちろんですが、テロの時代にいかに共存していくかというコンセプトのもと、ティト役を黒人の平和運動家に、セストの反乱は自爆テロに、そしてほんらいの台本では、襲われなかったことになっているティトは実際には襲われて重傷を負い、最後には人工呼吸器を外して半分自殺するという筋立てになっていたこと。これはこれで、とても説得力がありました。 そして、これは音楽、演出の双方からの要請だったと思うのですが、純粋にモーツアルトの書いたものをという視点、そして今回の演出のコンセプトの両方から、ジェスマイヤーの書いたレチタティーヴォを削り、場面に応じて「ハ短調ミサ曲」や「アダージョとフーガ ハ短調 K546」、そしてティトが亡くなったあとに「フリーメーソンの葬送音楽」を挿入したこと。 全体として、音楽的にもきわめて雄弁なものとなった上演でした。 先日、大野和士さんのプロデュースで、日本全国(とおそらく世界)で共同制作されるオペラの記者会見のことを書きましたが、あの時も、対立が煽られるこの時代に、芸術が何ができるかというメッセージを感じたのですが、「皇帝ティト」の公演にも同じものを感じた次第です。 この公演の場にいられたことは、2017年の個人的なハイライトのひとつでした。 その「皇帝ティトの慈悲」をはじめとするザルツブルク音楽祭の今年のハイライトが、衛星放送FM「ミュージックバード」で放送されます。 ナヴィゲートは名アナウンサーの田中美登里さんですが、田中さんに導かれて、番組内で解説をさせていただいております。 「皇帝ティト」の回では、「芸術に何ができるか」「芸術は時代の反映、時代と切っても切り離せない」だというお話をさせていただきました。 ご加入していらっしゃる方がいらしたら、ぜひお聴きいただければ幸いです。 ザルツブルク音楽祭 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
最終更新日
December 30, 2017 09:16:06 PM
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