節分 恵方巻き
今日、セレファMam.とジャスコに行ったら、海苔巻きがいっぱい並んでいた。北北西の方向を向いて、太巻きを大笑いしながら食べるとか?今まで、そんなに関心を示していなかったのですが、最近は、段々この風習が拡大していないか?ちょっと興味をもって、調べてみたら、以下のようであった。やっぱり昔の風習を、海苔屋やコンビにの販売促進で広まったようですね。そしてやっぱり大阪ですか!まあ、消費を拡大させる為には、バレンタインや、クリスマス、ひな祭り等の風習を拡大していくのがよいのでしょうね。それにしても、販売促進が勝って、風習を変えてしまうのもすごいですね。太巻きの中身が変わったのは、まだ許せるか・・・ロールケーキは行き過ぎではないか・・・--------------------------------------------------------恵方巻出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』移動: ナビゲーション, 検索恵方巻、恵方巻き(えほうまき)とは、節分に食べる太巻きの事。商売繁盛、無病息災、願い事が叶う、その年必ず幸運が訪れる、厄落とし等の意味を持つ。「恵方寿司」とも呼ばれる。目次 [非表示]1 概要 2 発祥 3 全国的普及 4 外部リンク [編集] 概要節分の夜にその年の恵方(歳徳神の在する方位)に向かって、大笑いしながら太巻きをまるかぶり(関西方言で「まるかじり」の意)するのが習わしとされる。食べている間は、無言でなければならない。七福神に因んで、かんぴょう、キュウリ、シイタケ、伊達巻、うなぎ、でんぶ等七種類の具を入れて、福を食べるという意味合いもあるらしい。「福を巻き込む」という説明もある。また諺・『鬼に金棒』の金棒に見立てて、節分の豆まきで追い出した鬼が落としていった金棒を体に取り入れる事で、無病息災・商売繁盛…など、自身や自身を取り巻く環境に対し、抵抗増大や窮地打破などの意味合いがもたれたとされる。[編集] 発祥現在の恵方巻の起源は、江戸時代末期から明治時代初期にかけて、大阪・船場の商人による商売繁盛の祈願事として始まったといわれる。当時使われていた旧暦では、立春の前日である節分の日は大晦日にあたり、前年の災いを払うための厄落とし、年越しの行事として行われた。また豊臣秀吉の家臣・堀尾吉晴が、偶々節分の前日に巻き寿司のような物を食べて出陣し、戦いに大勝利を収めたという故事を元にしているという説もある。その他にも恵方巻の発祥地の候補には、和歌山(紀州)、滋賀(近江)等があるが、いずれも確かなものではない。 ちなみに無言でという説もあるが、笑いながら「まるかじり」が正式なものとされる。以後恵方巻の習慣は、昭和初期の大阪では船場の商人の間で行なわれていたようで、節分の「丸かぶりずし」の広告チラシも作成された。戦後に一旦廃れたが、1974年に大阪市で海苔店経営者等がオイルショック後の海苔の需要拡大を狙いとして節分のイベントで海苔巻きの早食い競争をはじめたこと、1977年に大阪海苔問屋協同組合が道頓堀で行った海苔の販売促進行事が契機となって、復活することとなった。1960年代から復活して行われていたという説もある。[編集] 全国的普及現在では程度の差こそあれ商業的にはほぼ全国展開されている。 大阪の奇習を全国に広めて洗脳度を計るテストであり、こうした恵方巻の全国販売はセブン-イレブンが先駆けであり、1989年に広島県の加盟店オーナーの発案により販売を開始したところヒット商品となった。関西、中国、九州の各地方など西日本での販売を経て、1998年にコンビニエンスストア初の恵方巻全国販売を開始した。このヒットを受けてローソンも2001年より、ファミリーマートでも2003年より全国販売を開始。1990年代以降、毎年1月初頭から節分期間まで、全国展開するコンビニエンスストアがテレビコマーシャルを放映したり、スーパーマーケットが販促活動を行ったりしている。ミツカンが行った調査では、恵方巻の認知度は全国平均88%であり、「実際に食べた」と答えた人の全国平均は62%に上っている。近年の恵方巻の広まり方は、バレンタインデー・ホワイトデーの菓子贈答と同じく、一地方の食文化が海苔業界やコンビニ業界など、関係業界の主導のもと販売促進を目的とした傾向があり、本来の意図を持たない海鮮巻き・丸かぶりロールケーキなどの登場でその意義が全く理解されていないといった声があがっている。また、人気漫画の「こちら葛飾区亀有公園前派出所」や「さよなら絶望先生」などでも紹介されたこともあった。