日米年末年始挨拶考
今年も好例の新年の挨拶回りでスタートを切り気がつけば20日が過ぎてしまった。最近の訪問先は地元四国全域はもとより大阪・東京までエリア拡大が進んでいる。長年営業経験も長く正月好例の挨拶回りは何故か意味も無く儀礼的と思っていたが米国の5年間の新年の無味乾燥な仕事始めを経験したせいか今では日本独特の素晴しい文化として気持ちよくこなせている。 例え相手がおられなくとも名刺を置かせていただくと何故か次回お会いするとき心が落ち着いた気持ちでスタート出来る物である。我が家族が住んだシカゴも10月末のHalloweenがスタートし、Thanks GivingやChristmasが近づくと所謂Holiday Seasonとの事で、心ウキウキ状態で全く仕事にならない。 米国人スタッフも長い休暇を取り、お客様もほとんど会社におられない。 よって日本人スタッフもこの時期は長期に休暇を取ってFloridaやCalifolniaやメキシコカンクンへと日ごろの国内出張で溜まりきったマイレジを使わな損と、家族旅行に繰り出し、結果的には素晴しい思い出を造ることができる。ただ米国では1月1日はNew year Holidayで休むものの2日目から完全に仕事モードに入る事が出来る。相手とアポを取って訪問するのが常識で且米国内でも3時間の時差があるので相手がいないことが判っている客先訪問,ましては挨拶だけの訪問は絶対にありえない。よって新年の挨拶という非合理的な我々の儀式は想像も着かない日本独特の習慣と言えるだろう。今年も新年から想像を絶する野蛮な非人間的な,かっての日本では考えられない事件の連続でスタートを切った。 かって米国で虐待、レイプという現実を知ったが今の日本は米国以上の事件の多発現象がおきている感じがする。何故このような日本になったのか? 誰がこのような日本にしてしまったのか。 美しい日本という言葉が聞こえてくるだけに余計むなしく感じられる今日この頃である。挨拶で始まり、挨拶で終わる日本独特の文化が、米国に住んだせいか余計そのありがたさが判るのかも知れない。日本人同志であっても相手が誰であっても心から声を大にしてしっかりした挨拶からスタートする基本に戻り改めて今年の新年を飾りたいものである。