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テーマ:海外生活(7771)
カテゴリ:インドネシア田舎暮らし
水が出ない間は、隣のティニ叔母さんの家から水を汲んで使っていた。
洗濯しようとティニおばさんの家へ行くと、叔母さんはいなくて、休暇で遊びに来ていたH叔母さんの娘のNちゃんがいた。 Nちゃんは中学生。 私たちの結婚式の時には小2くらいで、うちわを持って新郎新婦の前を歩く2人の子供のうちの1人をやってくれた。(名前があるのだろうか。知っている人がいたら教えてね。) 井戸からつるべで水をくもうとした私に、Nちゃんは 「できる?」 と聞くので 「できるわよ」 と答えた。 ところがここの井戸はちょっとコツがいって、私は上手く水をくみ上げることができなかった。 見かねたNちゃんがつるべを取って、手早く水をくんでくれた。 「ありがとう」 洗濯も終わり、私が外で子供達と遊んでいるとティニ叔母さんが帰ってきた。 叔母さんが家に入り、Nちゃんの話す声が聞こえた。 このあたりの人々は日常会話はジャワ語を使う。 しかし、私はジャワ語ができないので、私にはインドネシア語で話てくれている。 叔母さんとNちゃんの会話はもちろんジャワ語。 でも、わかってしまった!! Nちゃんが 『ナツミがきて水汲みしようとした。 「できる?」と聞いたら、 「できる」と言った。 でもできなくて、私がくんであげたの』 と笑いながら話しているのが。 言葉が通じなくても悪口を言っているのはわかると聞いたことがあるが、このことか。と思った。(悪口とは違うけれど、自分が笑われていることがわかった。) その瞬間私の苦労はなんだったの?と言う気持ちになった。 以前ここで暮らしていたときは、ここの生活に慣れようと努力していた。 でも、はたから見ればそれは滑稽だったのではないいか? 「都会育ちの何もできない子が来た」と思われていたのでは? なんて、どっぷり自虐モードに浸かってしまった。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
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