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《櫻井ジャーナル》

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2010.12.28
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 ロシアでミハイル・ホドルコフスキーに対する有罪判決が出た。ボリス・エリツィン時代に実行された「私有化」と「規制緩和」によって国の資産を私物化して巨万の富を築くだけでなく、政治も動かしていた「寡頭制支配者」、あるいは「七人のギャング」のひとりだ。

 19世紀にアメリカで登場した資本家も私利私欲のためなら何でもしたことから「強盗男爵」と呼ばれているが、ロシアの「寡頭制支配者」に比べれば、マシだったという。つまり、「強盗男爵」は曲がりなりにも投資によって産業を興したが、「寡頭制支配者」は略奪するだけだったというのだ。大多数の国民が極度の貧困化で苦しむ中、「寡頭制支配者」は犯罪組織を背景にして、エリツィンの周辺と手を組むことでロシアを支配した。少なからぬ情報機関の元/現メンバーも雇っていた。

 こうした話を明らかにする先駆的な仕事をしたのがポール・クレイブニコフ。アメリカの雑誌、フォーブスの編集者を務めていたのだが、2004年に殺されてしまった。

 いわゆる「西側のメディア」によると、ホドルコフスキーはソ連が消滅する前、1987年にメナテプという銀行を創設、1990年代に「私有化」によって二束三文の値段で叩き売られた企業を買収し、巨万の富を得たとされている。

 メナテブが「ビジネス」を本格化されたのは1990年代に入ってからのようで、1995年に石油企業ユーコスを手に入れる際にも重要な役割を果たした。この年、CIAはこの銀行に関し、「世界で最も堕落した銀行」と表現している。犯罪組織との緊密な関係も指摘されていた。

 このユーコスは次々と別のエネルギー関連企業を飲み込んでいくのだが、それだけでなく1996年にはモスクワ・タイムズやサンクトペテルブルグ・タイムズの大株主になっている。彼らはメディア支配、情報操作の重要性を認識していた。

 ソ連時代、ホドルコフスキーはコムソモール(共産主義青年同盟)のリーダーだったのだが、この地位を利用し、ソ連の若い女性を西側の富豪に提供していたという疑惑が語られている。そうした過去が功を奏したのかどうかは知らないが、1989年にホドルコフスキーはソ連の「モデル」をニューヨークへ送り出すビジネスを始めている。当局の「妨害」を排除するため、ホドルコフスキーとKGB(国家保安委員会)との親密な関係が役に立ったとビジネス・パートナーが後に語っている。

 エリツィン時代にロシアを支配していた「寡頭制支配者」の中で最も力があったと考えられているのはチェチェン・マフィアと結びついていたボリス・ベレゾフスキー(後にプラトン・エレーニンに改名)だが、この人物はウラジミール・プーチンが大統領になると「風の変化」を感じ取り、ロンドンへ逃亡している。ホドルコフスキーは自分たちの力を過信し、亡命が遅れたために逮捕されたわけである。

 ベレゾフスキーがロシア時代から雇っていたアレクサンドル・リトビネンコが放射性物質ポロニウム210で殺されたのは2006年のこと。リトビネンコはロシアの情報機関FSB(連邦保安局)の出身だ。延々と痕跡を残してしまう物質での暗殺ということに疑問を持つ人は少なくないのだが、「西側メディア」は例外だった。

 この事件では、リトビネンコが直前に訪問した先が興味深い。殺される数週間前、リトビネンコはイスラエルを訪れ、ユーコスの元幹部レオニド・ネフツーリンと会っているのだ。ベレゾフスキー自身、イスラエルのパスポートを持っていた時期がある。ベレゾフスキーにしろホドルコフスキーにしろ、「ユダヤ系」というのではなく、イスラエルとの具体的なつながりが注目されているのであり、彼らの資金がイスラエルの政治にも少なからぬ影響を及ぼしている可能性が高い。

 ちなみに、ホドルコフスキーの同志的な存在だったベレゾフスキーは、ルパート・マードック、マイケル・ミルケン、ニール・ブッシュ、ジェイコブ・ロスチャイルド卿と息子のナット・ロスチャイルドなど「西側」の大物たちと緊密な関係にある。





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最終更新日  2010.12.28 13:43:03



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