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《櫻井ジャーナル》

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2011.04.16
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 福島第1原発の事故の後、温室効果ガスの排出量を削減することは難しいという話が流されてる。例えば、福島第1原発の事故を受け、4月4日に枝野幸男官房長官は、温室効果ガス排出量に関する国際的や約束を「検討」すると表明している。

 実は、原子力発電の推進派と気候変動否定派をさかのぼっていくと、同じ人たちたどり着く。例えば、昨年12月、カンクンで開かれた国連気候変動会議(COP16)の初日に日本政府は「いかなる条件、状況下でも京都議定書の第2約束期間の下で目標を書き込むことは絶対合意しない」と表明しているのだ。そうした方針を決めたのは経産省であり、その背景には大企業(財界)の要求がある。気候変動の話は原発を推進するために作られたという「仮説」は成り立たない。

 温室効果ガスに関する議論が出てくるのは19世紀。その後も研究は続き、1973年になると、イギリスの科学者、ジェームズ・ラブロックはフロンガスが温室効果の大きな要素だと主張している。

 1980年代に入ると気温の上昇が注目されるようになり、エルニーニョ現象(ペルー沖の海水温が上昇する現象)の頻度に関する問題、あるいは北極圏の先住民やその地域の学者たちから北極圏で氷が溶けているという指摘なども出てくる。

 1980年代の後半になると、自然のサイクルでは説明ができないとして、温室効果ガスが気候の温暖化をもたらしているという説が広まっていくのだが、反対意見も出てくる。その代表格がポーランドの物理学者、ズビグネフ・ヤボロスキー。1990年頃から気候変動説を批判しはじめた。

 そうした批判はあったものの、二酸化炭素、メタン、亜酸化窒素、ハイドロカーボン類、パーフルオロカーボン類、6フッ化硫黄など「温室効果ガス」を規制する議定書が1997年12月、京都で議決されている。これが、いわゆる「京都議定書」。2004年に、ロシア連邦が批准し、2005年に発効した。

 ただ、最大の排出国であるアメリカは議定書を批准していない。本コラムでは何度か書いたが、アメリカの大富豪、コーク兄弟が気候変動を攻撃するために資金を投入し始めるのは、議定書が発効した頃からのようだ。

 ロシアの批准に最も慌てたのは、おそらく日本である。議定書に調印して以来、何も対策を講じていないことを考えると、議定書は発効しないと高をくくっていたとしか思えない。そこで幅を利かせてくるのが、原発は温室効果ガスを出さないという「神話」を撒き散らすことと、京都議定書の無効化を狙った工作である。原発を推進すると同時に、温室効果ガスを自由に排出したいというのが日本政府の本音ということだ。

 ラブロックと同様、ヤボロスキーも原発には好意的な見方をしている人物で、放射能障害についても楽観的な見方をしている。

 また、ヤボロスキーは福島第1原発の事故が発生して間もなく、スリーマイル原発程度で事故はおさまり、チェルノブイリ原発のようになることはないと主張していた。日本政府の言動やヤボロスキーの発言を見ても、原発推進と気候変動を対立させる「解説」は、あまりに単純すぎると言えるだろう。





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最終更新日  2011.04.17 00:19:35



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