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《櫻井ジャーナル》

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2011.09.08
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 今から10年前、2001年9月11日に航空機がニューヨークの世界貿易センターに立つ南北タワーに突入、両タワーとも崩壊した。同時にペンタゴンも攻撃されている。一般的には「911」、日本では「同時多発テロ」と呼ばれている事件だ。この出来事を機に、アメリカでは急速にファシズム化が進む。ロナルド・レーガン政権から練られていた戒厳令計画、つまり「COGプロジェクト」を実行に移したのだと考えられている。

 事件の直後、アメリカ政府はアル・カイダが実行したと断定、アフガニスタンやイラクを先制攻撃した。これ以降、アル・カイダは「テロリスト」の象徴となり、アメリカが行う破壊と殺戮を容認させる「御札」としても使われるようになった。

 ところが、今年、リビアのムアンマル・アル・カダフィ体制を倒すためにアメリカ、イギリス、フランスはアル・カイダと親密な関係にある武装勢力と手を組んだ。その勢力とはLIFG(リビア・イスラム戦闘団)。LIFGの幹部、アブデル・ハキム・アル・ハシディはアル・カイダとの関係を認めている

 現在、リビアの反政府軍を指揮しているアブデル・ハキム・ベルハジもLIFGの創設メンバー。やはりアフガニスタンでソ連軍と戦った経験があるのだが、その際、そこでオサマ・ビン・ラディンと会っている。言わば「同志」だ。

 ジョージ・W・ブッシュ政権の時代、ベルハジはCIAから「テロリスト」として拷問を受けている。2004年にCIAはベルハジをマレーシアのクアラ・ルンプールで逮捕、バンコックの秘密刑務所へ一旦投獄してからリビアへ送っている。ベルハジによると、そこで拷問を受けた。

 アル・カイダの歴史を振り返ると、アメリカの軍や情報機関と深く結びついていることがわかる。アフガニスタンでソ連軍と戦っていた1980年代は勿論、2001年にも接触は続いていた。フランスのル・フィガロ紙によると、オサマ・ビン・ラディンとCIAの人間がドバイの病院で会っているのだ。7月4日から14日にかけてビン・ラディンはその病院に入院していた。

 サウジアラビアの富豪一族に生まれたオサマ・ビン・ラディンを武装勢力へと導いたアブドゥラ・アッザムはムスリム同胞団に参加していたと言われる。エジプトでアンワール・サダトが大統領に就任するとムスリム同胞団を国内へ引き入れ、アッザムもエジプトへ移動した。そしてサウジアラビアの大学で教鞭を執ることになる。そのときの学生の中にオサマ・ビン・ラディンもいたというわけだ。

 1984年、アフガニスタンでイスラム武装勢力がCIAの下でソ連軍と戦ったいる最中、アッザムはビン・ラディンとMAK(礼拝事務局)をパキスタンのペシャワルで創設しているのだが、この組織は後にアル・カイダと呼ばれるようになったという。

 今年に入り、中東/北アフリカでは「民主化要求運動」が盛り上がっているが、エジプトやシリアではムスリム同胞団、リビアではアル・カイダの名前が出てくる。米英仏などの欧米諸国はイスラム武装勢力と手を組んでいるようにも見える。

 こうしてみると、「911」でアメリカ政府は本気でアル・カイダを危険視していたのかどうか疑わしく思えてくる。実際、アル・カイダと敵対関係にあったイラクを攻撃してサダム・フセイン体制を破壊している。

 「テロとの戦争」をはじめる切っ掛けになった「911」自体にも疑問は多い。4機の旅客機がハイジャックされ、そのうちAA11便とUA175便が世界貿易センターの超高層ビルに激突したとされているが、ペンタゴンへ突入したというAA77便の痕跡が現場には見あたらず、ピッツバーグとワシントンとの間で墜落したはずのUA93便は消えたままだ。

 ちなみに、2001年5月31日から6月4日までの期間、NORAD(北米航空宇宙防衛司令部)は軍事演習を実施している。この演習が注目されている理由のひとつは、巡航ミサイルでアメリカの東海岸が攻撃されるという設定になっていて、演習のシナリオの書かれた文書の表紙にはオサマ・ビン・ラディンの顔写真が印刷されていたということがある。

 「911」の前、イラクを含む外国、あるいはアメリカ国内の機関から「テロ計画」に関する警告が事前に出されていたのだが、アメリカ政府は反応しなかった。そうした情報が証券市場にも流れていたようで、「プット・オプション」(株式などを特定の日か一定の期間に、一定の数量を一定の価格で売る権利)が大量に買われた。問題の買い手はアレックス・ブラウンという会社だったと言われ、1998年まで同社の会長を務めていた人物はその後、CIAの幹部になっている。

 水面下でどのような動きがあったのかは不明だが、表面に出ている部分を見ていると、アル・カイダは「911」から10年後の現在、役割が「テロリスト」から「自由の戦士」へ戻ったようにも思える。





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最終更新日  2011.09.09 01:31:17



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