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ムアンマル・アル・カダフィを支持する武装勢力が立てこもっていたシルトの市内で多くの処刑されたカダフィ軍兵士の死体が発見された。反カダフィ軍によるものだと見られている。その近くではカダフィ自身が「処刑」されたわけだが、その現場近くにアメリカの専門家やイギリスの特殊部隊員もいたようだ。
シルト攻撃に「協力」するため、電子機器を扱うアメリカの専門家が市内の動向を監視する一方、イギリスの特殊部隊SASの隊員は「国民評議会軍」を指揮していたとイギリスのテレグラフ紙は伝えている。 カダフィ軍が数十台の車両で脱出を図ると、アメリカは無人機のプレデターで車列をミサイル攻撃、SASは地上で反カダフィ軍を指揮していた。さらにフランスの戦闘機は2発のGBU-12(レーザー誘導爆弾)を車列に投下している。この攻撃で25名以上のカダフィ軍兵士が死亡、カダフィ自身も足に負傷した模様だ。 その後、カダフィはリンチを受けた上で頭と胸を撃たれて「処刑」されたのだが、処刑されたのはカダフィだけでなかった。殺された53名のカダフィ軍兵士をヒューマン・ライツ・ウォッチがシルト市内で発見、調査を求めている。その場所を支配していたのは反カダフィ軍だったことから、反カダフィ軍による捕虜の処刑だと見られている。同じ場所でAFPの記者は、処刑された死体60体を見たという。 反カダフィ軍はアフリカ中南部の出身者も拉致、その大半は労働者だと見られている。この件についてヒューマン・ライツ・ウォッチが問題にしているほか、国連は反カダフィ軍が約7000人を拉致、不当に拘束していると批判している。またアムネスティー・インターナショナルもこの問題に関する報告書を出している。 リビアは産油国。米英仏としても欲しい利権だろうが、それだけでなく、カダフィはアフリカ中南部を自立させるために支援、アフリカを南アメリカのようにまとめようとしていたと言われている。つまり、この地域を植民地化し、その後も利権を握ってきた欧米各国としては許し難い行為だ。アフリカに食い込みつつあった中国やロシア、つまりBRICSとの戦いという要素もあるだろう。 これが「リビア解放」の現実だが、新体制が安定すると考えている人は少ないだろう。何しろ、すでにムスリム同胞団系の人びととカダフィ体制からの離反組の対立が表面化している。しかも、アル・カイダ系のLIFG(リビア・イスラム戦闘団)が武装集団として大きな影響力を持っている。歴史的にムスリム同胞団とアル・カイダは関係が深いとも言われているだけに不気味だ。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
最終更新日
2011.10.25 03:12:02
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