27425938 ランダム
 ホーム | 日記 | プロフィール 【フォローする】 【ログイン】

《櫻井ジャーナル》

【毎日開催】
15記事にいいね!で1ポイント
10秒滞在
いいね! --/--
おめでとうございます!
ミッションを達成しました。
※「ポイントを獲得する」ボタンを押すと広告が表示されます。
x

PR

キーワードサーチ

▼キーワード検索

カレンダー

サイド自由欄

バックナンバー

2011.12.14
XML
カテゴリ:カテゴリ未分類
 現在、アフガニスタンでアメリカ/NATO軍が戦っている相手、タリバンはアメリカがパキスタンの助言に基づいて組織した集団。そのタリバンと戦わせるために新たな武装集団をアメリカは組織したのだが、殺人、レイプ、不正な拘束、誘拐、土地の略奪、違法な襲撃などの行為を繰り返していると批判されている。

 タリバンを創設する際に協力を受けたパキスタンとアメリカは現在、関係が悪化してパキスタン領から物資を補給することが難しい状況になっているため、拷問など人権侵害で悪名高いウズベキスタン政権と手を組んで補給路を確保していると指摘されている。

 アメリカのサダム・フセイン政権がアフガニスタンのタリバン政権を攻撃する理由としたのは、アル・カイダとの関係だ。この話自体、信憑性に欠けるのだが、アル・カイダと敵対関係にある体制もアメリカ軍は破壊していく。

 アフガニスタンに続き、アメリカが先制攻撃を仕掛けたのはイラク。この国を支配していたサダム・フセインはアル・カイダを徹底的に弾圧、アメリカ政府にもこの武装集団に関する情報を提供していたことが知られている。また、リビアのアンマル・アル・カダフィ体制もアル・カイダを危険な存在だと認識、敵視していた。

 フセイン体制が崩壊してからイラクの内部にアル・カイダ系の武装集団が侵入、リビアでは英仏米が軍事侵攻の際にアル・カイダ系のLIFG(リビア・イスラム戦闘団)と手を組んでいる。アル・カイダとの関係をLIFGも認めている。日本では「左翼」を自称している人たちもリビアの反カダフィ派とアル・カイダとの関係から目をそらしているのは興味深い。

 カダフィ体制が倒れた後、象徴的な出来事がリビアの都市、ベンガジで見られた。裁判所の建物にアル・カイダの旗が掲げられたのである。リビアの体制転覆はフランスが発端を作り、イギリスが主導し、アル・カイダの手を借りて実現、アメリカも全面的に協力したということだ。

 アル・カイダの象徴的な存在だったオサマ・ビン・ラディンをバラク・オバマ米政権は5月2日、パキスタン側の了解を得ずに暗殺したことになっている。アメリカ海軍の特殊部隊SEALチーム6が2機のヘリコプターを使って襲撃、その際にビン・ラディンたちは丸腰で、銃撃戦らしい銃撃戦はなかったという。

 アメリカが主張するストーリーを信じると、本人だけでなく警備の人間も襲撃に気づかず、くつろいでいたことになる。この地域はパキスタン軍の幹部が多く住み、士官学校も近くにある。警備は厳重だったはずだが、警戒網に引っ掛からなかったのは不思議だ。

 2001年7月にビン・ラディンは腎臓病の治療をするため、アラブ首長国連邦ドバイの病院で入院、その際にCIAの人間と会ったとフランスのル・フィガロ紙は報道している。それだけの重病人が過酷な山岳地帯でゲリラ戦を続けているという話にリアリティを感じない人は少なくなかった。

 5月2日まで生存していたとしても、すでにアル・カイダの内部で発言権はなくなっていた可能性が高い。オサマ・ビン・ラディンの死はアル・カイダにとって大きな意味はないということである。

 1982年7月、イタリアの「黒幕」、リチオ・ジェッリの娘が持っていたスーツケースの底に隠されていた文書がローマの空港で発見された。そのうちのひとつ、1970年3月18日付けの文書「安定作戦、情報-----特別分野」には、「友好国政府が共産主義者の脅威に対する警戒心をゆるめている場合」の対処法が書かれていた。友好国の政府や国民を目覚めさせるために特殊作戦を実行しなければならず、より過激な共産主義グループの内部に特別行動グループを編成し、反乱を望む声を広めるように務めろというのだ。

 つまり、国民の間に寛容な雰囲気が広がり、平和を望む人が増えてきたなら、何らかの行動を起こし、人々に『恐怖』を思い出させるべきだとしているのである。この文書を作成した責任者はウィリアム・ウエストモーランド将軍だとされている。





お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう

最終更新日  2011.12.14 18:13:57



© Rakuten Group, Inc.