27432933 ランダム
 ホーム | 日記 | プロフィール 【フォローする】 【ログイン】

《櫻井ジャーナル》

【毎日開催】
15記事にいいね!で1ポイント
10秒滞在
いいね! --/--
おめでとうございます!
ミッションを達成しました。
※「ポイントを獲得する」ボタンを押すと広告が表示されます。
x

PR

キーワードサーチ

▼キーワード検索

カレンダー

サイド自由欄

バックナンバー

2012.08.24
XML
カテゴリ:カテゴリ未分類
 今月の26日から31日にかけて、イランのテヘランで非同盟運動の会議が開かれる。イランの孤立化を狙うアメリカやイスラエルなどは様々な妨害活動を展開しているようだが、イランと友好的ではない、あるいはアメリカの影響下にあると見られていたエジプトのムハンマド・ムルシー大統領国連の潘基文事務総長も出席する意向だと伝えられている。

 非同盟運動は1961年、「西側」にも「東側」にも属さずに独立国家として平和共存の道を探るという目標を掲げて始まった。その中心にいた人物は5名、つまりエジプトのガマール・アブデル・ナセル、ユーゴスラビアのヨシップ・チトー、インドのジャワハルアル・ネール、ガーナのクワメ・エンクルマ、インドネシアのスカルノ。最初の総会は1961年9月にユーゴスラビアのベオグラードで開かれている。

 創設当初からこの運動を敵視していたのがアメリカ。植民地だった国が自立するということは、植民地で潤ってきた人びとが利権を失うことを意味するわけで、大多数の欧米諸国の支配層はこの運動を嫌っていたことだろう。

 1945年にオランダからの独立を宣言したインドネシア。その初代大統領に就任したスカルノの場合、非同盟運動が始まる前からアメリカから睨まれていた。1957年にCIAはスカルノ政権を倒すための秘密工作を開始、反政府派のメンバーを訓練し、武器を供給している。最初の蜂起は、スカルノが日本を訪問した1958年のことだった。

 インドネシアの反政府派は旧貴族階級や地主が中心で、実行部隊はスマトラ島を拠点にしていたインドネシア軍の将校たち。CIAの爆撃機や米海軍の潜水艦が蜂起を支援、訓練や兵站のための基地として沖縄も重要な役割を果たしたというが、これは失敗に終わる。

 こうした軍事支援だけでなく、「教育」の力もアメリカ支配層は利用する。フォード財団が貴族階級出身のインドネシア人をアメリカの有力大学へ留学させ、反スカルノ派の指導者候補として育成している。「バークレー・ボーイズ」とか「バークレー・マフィア」と呼ばれる若者たちだ。幹部が親米派で占められていたインドネシア軍とともに、スカルノ政権を倒す主力部隊になる。

 そして1965年9月30日、小集団の若手将校が6名の将軍を誘拐のうえ殺害、ジャカルタの主要箇所を占拠した。そのとき、自分たちはCIAの支援を受けている反乱軍の一部だと放送、スカルノから権力を奪取すると宣言したという話も伝えられているが、真相は明らかになっていない。

 この混乱を利用し、スハルト将軍が率いる反スカルノ派の軍隊が若手将校たちを制圧、そして親米派による大量虐殺が始まる。翌年の3月にスカルノは排除されて親米派の政権ができあがった。この間、犠牲になった人数は30万から100万人と推計されている。

 この出来事を「共産党のクーデター未遂事件」と表現する人たちもいる。もし共産党がクーデターの準備をしていたなら、一方的な虐殺という事態にはならず、内戦、少なくとも大規模な戦闘に発展したはずである。世界的には、アメリカ主導のクーデターだと信じられている。ともかく、非同盟運動を創設したひとり、スカルノは排除された。

 19世紀の後半からエジプトはイギリスに支配されていた。1922年にイギリスは間接支配の道を選び、成立したのがエジプト王国。言うまでもなく、この王制はイギリスの傀儡にすぎなかった。この王制を倒すクーデターが1952年にあり、自由将校団のリーダーとしてナセルも参加している。

 王制を倒した後、クーデター派で内部対立が激しくなり、1954年にムスリム同胞団はナセルの暗殺を試み、失敗した。ムスリム同胞団と結びついていたムハンマド・ナギブ大統領は解任され、同胞団は非合法化される。

 その際、約4000名が逮捕され、6名が処刑されたというが、数千名のメンバーはサウジアラビア、ヨルダン、レバノン、そしてシリアなどへ逃げたという。この出来事を切っ掛けにしてムスリム同胞団はサウジアラビア王室と緊密な関係を結ぶ。現在、シリアの反政府派、SNC(シリア国民評議会)でもムスリム同胞団が中心的な役割を果たしているとされている。

 1956年にナセルはエジプト大統領に就任、非同盟運動を始めた後の64年、収監されていたムスリム同胞団のメンバーを恩赦で釈放する。ところが、自分たちへの警戒心が緩んだと判断したのか、同胞団は新たにナセル暗殺を3度試みる。いずれも失敗に終わるわけだが、幹部は処刑され、多くのメンバーが逮捕された。そして1970年、52歳のときにナセルは心臓発作で急死する。

 そうした背景のあるムスリム同胞団の幹部、ムルシー大統領が非同盟運動の会議に出席するのは興味深い。それだけ非同盟運動の影響力が大きくなっているということなのだろう。

 このムルシー大統領はアメリカと緊密な関係にあることでも知られている。カイロ大学を卒業後、1982年に南カリフォルニア大学で博士号を取得、カリフォルニア州立大学ノースリッジ校で教鞭を執る一方、NASA(国家航空宇宙局)にエンジニアとして務めた経験があるのだ。勿論、ムスリム同胞団の幹部としての顔もある。現在、ムルシーが党首を務める「自由と公正党」はムスリム同胞団が母体だ。

 そして潘基文。ハーバード大学のジョン・F・ケネディ行政大学院へ留学した経験があるのだが、そこで担当教官だった人物が「あのジョセフ・ナイ」である。潘基文がナイの影響を受けていないとは言えないだろう。その潘も国連事務総長としてテヘランの会議に出席する。





お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう

最終更新日  2012.08.24 21:41:49



© Rakuten Group, Inc.