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《櫻井ジャーナル》

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2014.09.18
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 イギリスからの独立に賛成か反対かを問うスコットランドの住民投票が9月18日に実施される。日本で「イギリス」と表現されている国は、イングランド、スコットランド、ウェールズ、北アイルランドの連合王国。スコットランドとアイルランドは17世紀、オリバー・クロムウェルの率いるイングランドの軍隊に侵略、占領され、飲み込まれた。その際に多くの住民が虐殺されている。

 こうした歴史的な背景も独立へ人びとを駆り立てる要因になっているが、それ以上に注目されているのが北海油田。1970年代の石油価格高騰のおかげで北海油田が利益を生むようになり、それ以来イギリス経済を支えてきた。この恩恵なしにマーガレット・サッチャー首相は新自由主義をイギリスに導入することはできず、富を一部の特権階級へ集中させる仕組みを作り上げることはできなかっただろう。

 イギリスのオブザーバー紙によると、この値上げは1973年5月にスウェーデンで開かれた秘密会議で決まった。この秘密会議を主催したのはビルダーバーグ・グループ。その会議でヘンリー・キッシンジャーを中心とするアメリカとイギリスの代表は400%の原油値上げを要求、認められたわけだ。この結果、1975年には27%のインフレという形になって表れるが、78年頃には安定化している。この石油価格高騰はイギリスだけでなく、アメリカの石油業者も潤している。

 1970年代の後半、イギリスではオフショア市場のネットワークが築かれている。富を独占した強者の資産を隠し、課税を避ける仕組みだ。そうした資金が投機市場へ流れていくのだが、そうした資金を運用しやすいように金融機関にはめられていた箍が緩められ、1986年の「ビッグバン」につながる。

 こうした政策の結果、サッチャーが首相を務めた1979年から1990年にかけて弱者(庶民)の貧困化が進む。平均の60%以下の収入で生活する人の割合は1979年が13.4%だったのに対し、1990年は22.2%。製造業の衰退も進んでいる。

 ところで、スコットランドが独立した場合、北海油田の収入は90%がスコットランドへ入ると言われている。石油の生産量は減少、フォークランド/マルビナス諸島をめぐるイギリスとアルゼンチンの対立でもエネルギーが絡んでいる可能性が高いのだが、それでも北海油田の存在は大きい。

 収入の減少だけでなく、北海油田の利権がスコットランドへ移ると深刻な財務問題が浮上する。イギリスは北海油田の収入を担保にして資金を調達しているのだが、その条件が悪くなることは不可避。ロンドンの政治家や金融業者、あるいは王室までがスコットランドを脅す理由のひとつはここにある。





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最終更新日  2014.09.18 16:31:19



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