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《櫻井ジャーナル》

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2015.04.09
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 翁長雄志沖縄県知事と菅義偉官房長官が4月5日、那覇市内で名護市辺野古での新基地建設問題について会談したという。アメリカが国外に持っている軍事基地は約740。日本には空軍が20施設、陸軍が15施設、海軍が31施設、そして海兵隊が17施設あるようだ。県の面積が日本全体の0.6%にすぎない場所に在日米軍基地の74%が集中、そこへ新しい軍事基地を建設しようというのだから、反対されて当然。最近、UNASUR(南米諸国連合)でもアメリカの基地を閉鎖させようという動きがある。

 基地を拒否するという沖縄の「民意」は明確。翁長知事も辺野古での基地建設に反対する意思を明確に伝えた。札束で頬をはって解決できる問題ではない。そこで菅官房長官は「粛々」と物事を進めると繰り返したというが、知事が言うように、これは「問答無用」で作業を進めるということ。

 この「粛々」は日本の政治家や官僚がよく使うが、「上から目線」という感情的な問題ではなく、民意を無視、つまり民主主義を否定するという宣言。民意が踏みにじられるのは日本が民主主義の原理に基づいて動いていないからだ。安倍晋三政権が従属しているアメリカの好戦派、つまりネオコン/シオニストや戦争ビジネスなどは侵略のためにイスラム武装勢力を組織、ウクライナではネオ・ナチを使っている。

 沖縄にアメリカ軍の基地が集中した理由のひとつは地理的な条件。アジア支配の拠点として最適の場所だということだ。もうひとつは昭和天皇の意思で、アメリカ軍の沖縄占領が「25年から50年、あるいはそれ以上にわたる長期の貸与というフィクション」のもとで継続されることを望むというメッセージを1947年9月に天皇から出されている。(豊下楢彦著『昭和天皇・マッカーサー会見』岩波現代文庫)

 このメッセージは、天皇が側近の寺崎英成を通じてGHQ外交局長のウィリアム・ジョセフ・シーボルトに伝えたとされ、そのシーボルトが残した文書の中に記述されていた。天皇の生涯を記録したという「昭和天皇実録」を宮内庁は編集している。その宮内庁は沖縄占領に関する天皇のメッセージについて「事実とは認定していない」としているらしいが、この官庁に歴史的事実の真偽を「認定」する権利はない。

 降伏後、日本とアメリカとの交渉は天皇とホワイトハウスとの間で行われたという研究報告があるが、皇室の力を考えれば当然だろう。降伏前、日本軍には少なからぬ皇室のメンバー在籍していた。軍の幹部だった人、あるいは軍の内情に詳しい人によると、皇室は軍の内部で特別な存在だった。軍には階級があるが、そうしたものと関係なく、皇室の人間が立場は上になるという。

 皇室出身の軍人は中国での戦争にも参加、例えば、1937年12月の南京攻略当時、昭和天皇の叔父にあたる朝香宮鳩彦は上海派遣軍司令官だった。形式上、この作戦は中支那方面軍司令官兼上海派遣軍司令官だった松井石根大将が指揮したことになっているが、松井が朝香宮に逆らうことは不可能だったはず。関東軍が「暴走」できたのは、そうした仕組みがあったからだとしか考えられない。この攻撃の直後、イギリスの支配層でソ連を第一の敵と考える勢力が「日本・アングロ・ファシスト同盟」を結成しようと考えていた。(Anthony Cave Brown, “"C": The Secret Life of Sir Stewart Graham Menzies”, Macmillan, 1988)、

 この同盟案は日本軍の真珠湾攻撃で消滅しただろうが、真珠湾を攻撃しなければ別の展開があったと考えている人が支配層にいても不思議ではない。戦争に反対なら、1872年の「琉球処分」から続くアジア侵略をまず問題にすべきであり、アメリカと戦争を始めたことだけを「無謀だった」と反省するのはおかしな話。

 それはともかく、日本と戦った相手の国で天皇の戦争責任を問う声が出てくるのは必然で、処刑を求める圧力が高まる恐れもあった。極東国際軍事裁判(東京裁判)や新憲法の制定を急いだ一因はここにあるだろう。

 民主化を徹底したいなら、徹底的に審理し、ゆっくり条文を吟味しても問題はない。東京裁判で身代わりを処刑し、天皇制を存続させる憲法をアメリカは作ったのだろう。天皇は「神」から「象徴」へと表現は変化したが、その後も「神聖にして侵すべからざる存在」でありつづけている。

 それでも天皇は憲法第9条を懸念していた。コミュニストが日本を制圧し、自分を絞首台や断頭台の前に引きずり出すのではないかと恐れ、ダグラス・マッカーサーに対してその不安を口にしたというのだ。

 しかし、戦争が終わったときにはアメリカを親ファシスト派が主導権を握り、権力構造が大きく変化していたので天皇の不安は杞憂に終わる。ニューディール派を率いていたフランクリン・ルーズベルト大統領が1945年4月12日、ドイツが降伏する前の月に執務室で急死したことが切っ掛けだ。ルーズベルトはウォール街の親ファシスト派にとって邪魔な人物だった。

 1932年の大統領選挙で初めて当選した直後、JPモルガンをはじめとするウォール街の支配層はルーズベルトを排除し、ファシズム体制を樹立するためのクーデターを計画していた。これはクーデター派から誘われたスメドリー・バトラー退役少将らの議会証言で明らかになり、失敗に終わる。

 その後、ドイツはソ連制圧を目指して「バルバロッサ作戦」を始めるが失敗、1943年2月になるとドイツ軍は壊滅状態担って敗走を始める。それを見てアメリカ軍を中心とする部隊がシチリアへ上陸したのは1943年7月のこと。9月にイタリア本土を制圧、44年6月んはノルマンディーに上陸してパリを押さえた。1945年2月にはウクライナ南部の都市ヤルタでアメリカのルーズベルト大統領、イギリスのウィンストン・チャーチル首相、そしてソ連のヨセフ・スターリン人民委員会議長が会議をしている。その2カ月後にルーズベルトが急死、5月7日にドイツが降伏文書に調印した。

 この降伏直後、チャーチル首相はJPS(合同作戦本部)にソ連を攻撃するための作戦を作るように命令、「アンシンカブル作戦」ができあがる。7月1日に米英軍数十師団とドイツの10師団が「第3次世界大戦」を始める想定になっていたが、これは参謀本部の反対で実現していない。(Stephen Dorril, “MI6”, Fourth Estate, 2000など)

 ソ連の中心的な存在だったロシアにとって、ドイツの降伏は大きな意味を持つことは明らかで、今年5月にはナチスに勝利して70周年を祝う式典が予定されている。この式典に参加しないように圧力をかけているアメリカは昨年2月、ウクライナでネオ・ナチを使ってクーデター実行、キエフに傀儡政権を樹立させた。

 そのアメリカの好戦派は中東や南北アフリカでアル・カイダ/IS(ISIS、ISIL、IEIL、ダーイシュとも表記)を使って破壊と殺戮を繰り広げ、地域を破壊している。ネオコン/シオニストは東アジアの制圧を重視していたが、その東アジアでも同じことを繰り返そうとしているはず。その手先が安倍政権だ。





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最終更新日  2015.04.09 05:46:23



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