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《櫻井ジャーナル》

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2016.12.05
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 イスラエルからトルコへエイタン・ナエーが大使として着任した。大使赴任は6年ぶりのことだ。6月下旬にトルコのレジェップ・タイイップ・エルドアン大統領はイスラエルとの和解を発表、その発言が形になったといえるだろう。6月下旬にエルドアンはロシアのウラジミル・プーチン大統領に対し、ロシア軍機の撃墜を謝罪、7月13日にはトルコの首相がシリアとの関係正常化を望んでいることを示唆している。

 現在、西側ではドナルド・トランプ政権がイランを攻撃するというような話が流れているのだが、イラン、イラク、シリアを殲滅すると1991年に話していたのはポール・ウォルフォウィッツ。当時、アメリカの国防次官だった。翌年の2月にウォルフォウィッツを中心にして、国防総省のDPG草案という形で世界制覇プランが作成された。

 1993年1月から2001年1月までのビル・クリントン政権でネオコンはホワイトハウスの主導権を失い、政府内で活動していたのはヒラリー・クリントンが引き込んだ人びとだけだった。そこで、外部で提言をしているのだが、そのひとつが1996年の「決別」。作成したのはネオコンのグループで、中心はリチャード・パールだった。ここでもイラク、イラン、シリアは敵視されている。

 2000年にネオコン系シンクタンクのPNACはウォルフォウィッツ・ドクトリンをベースにして「アメリカ国防の再構築」を作り上げている。執筆人にはウォルフォウィッツのほか、ロバート・ケーガンやI・ルイス・リビーなどネオコンのメンバーが名を連ね、翌年から始まるジョージ・W・ブッシュ政権はその計画に沿った政策を実行した。

 2003年にアメリカ政府はイラクを先制攻撃、サダム・フセインを排除した。イラクに存在しないことを知っていた大量破壊兵器を口実に攻め込んだのである。1991年にウォルフォウィッツが口にしたことを実行したわけだ。

 21世紀に入るとロシアでウラジミル・プーチン大統領が国を食い物にしていた腐敗勢力(西側では民主派とか呼ばれた)の摘発を開始、少なからぬ富豪がロンドンやイスラエルへ逃れた。その結果、イスラエルはそうしたオリガルヒの大きな影響を受けるようになってしまう。そのオリガルヒはイギリスのロスチャイルドや投機家のジョージ・ソロスと深い関係にあり、そうした勢力の影響がイスラエルで強まったとも言えるだろう。

 アメリカではソロスやロスチャイルドと親しいことで知られているヒラリー・クリントンが2009年1月から13年2月まで国務長官を務めているが、その間、アル・カイダ系武装勢力など傭兵を使ってリビアやシリアを2011年春から侵略し、リビアでは2011年秋にムアンマル・アル・カダフィが殺害された。リビアは現在、破綻国家だ。

 2012年からアメリカ、サウジアラビア、イスラエルを中心とする侵略勢力は武器/兵器や戦闘員をシリアへ集中させる。シリアのバシャール・アル・アサド体制を倒した後はイランを潰す予定だったが、この計画はイスラエルの治安機関シン・ベトのユバル・ディスキン元長官や対外情報機関モサドのメーアー・ダガン元長官から反対されている。

 それでも2013年9月には駐米イスラエル大使だったマイケル・オーレンがバシャール・アル・アサド体制よりアル・カイダの方がましだと語っている。オーレンはベンヤミン・ネタニヤフ首相の側近で、この発言は首相の意思でもあると考えられた。その当時、アメリカではマーティン・デンプシー統合参謀本部議長やマイケル・フリンDIA局長はアル・カイダ系武装集団を危険だと考え、シリア政府と接触していたと言われている。

 モサドやシン・ベトはリクードと関係が深いはずで、本来ならネタニヤフ首相と対立することは考え難い。「元長官」でもそうだろう。対立が生じていたとするなら、そうした関係を壊すほどの存在がネタニヤフの背後にいたということだろう。今年に入り、その存在の力が弱まってきた可能性が高い。





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最終更新日  2016.12.05 04:39:03



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