理論物理学信者は、この世界のあらゆる現象は数式で示されると信じて疑わず、断片の一事象について一所懸命数式解明に取り組みます。
そして、膨大な税金を注ぎ込んで実験物理学者がこれを実証して、「大発見!やはりこの数式は本当だった。科学はまた新しい次元に突入した。」と喜び、時にはノーベル賞などで賞賛されます。勿論それは大変すばらしいことで敬意を称します。
でも、、何故?科学の追求はそこまでなんでしょうか。
何故発見した物理現象が、その数式=法則で表せるのか疑問に思わないのでしょうか?
科学の進歩は単なる法則発見の歴史にすぎず、未だ発展途上にあります。したがって私たちの抱く真理の疑問に何ら答えていない事実を理解してください。
にもかかわらず、一部の似非科学者は数式で理解できない森羅万象は非科学的だと吐き捨てます。
似非科学(盲)信仰の多くの人々は、現代科学の実態(実力)を知らないのに、似非科学者に倣って非科学的だから信じられないと頭から否定してしまいます。
そして現代科学に内包される現代医学の(盲)信仰に陥った多くの人々が、”命の選択枝が他にもあるにもかかわらず”惨い「死の病の宣告」を受け、「自らそのように信じ」、そしてあたかも「その宣告が正しかった」かのように亡くなっていきます。
まことに残念(惨忍)なことです。
日本の教育の歪があちこちで騒がれていますが、このような視点からもそれが露呈しているように思われます。
ベアード・T・スポールディング著「ヒマラヤ聖者の生活探求」
の訳者は超常現象や奇跡について、現代科学の本質をつく面白いことを述べています。
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「高次元の世界の法則が何らかの理由によって低次元の世界に延長され、低次元の世界でその因果関係の説明ができない時、それを低次元の世界では奇跡と称するにすぎない。」
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空悟の「自然波動エネルギー」は、この最高次元に属するものです。
奇跡はもはや奇跡ではありません。
常識を覆す最高次元の「超自然界の高波動」(低次元からみた超能力=奇跡)が、貴方の手の届くところにあります。
この事実こそ奇跡なのかも知れません。
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ベアード・T・スポールディング著 仲里誠桔訳
「ヒマラヤ聖者の生活探求」
第一巻 人間本来無限力から
~訳者はしがき~
本訳書『極東における大師がたの生活と教え』)は、著者が見えざる導きのままに世界各地にわたる調査隊に参加した際インド、チベット等における稀有の体験をありのままに描いたものである。
それらは人間の本質、人間の能力、人生の意義、自然における人間の地位等に関する真理とその実証より成る。本書は初版以来、啓示の書として今尚かくれたるベスト・セラーの地位を保ち、本邦訳を除いてもすでに十一か国語に翻訳されている。
「著者の死(一九五三年)後も尚、感動の手紙が世界の各地より続々として寄せられつつある」と述べられている。第一、二、三巻には数々のいわゆる奇跡が出てくる。
それについて疑惑を感ずる読者の方々のために、敢えて二、三の蛇足を附しておきたい。
一切の学とともに自然科学は永遠の進化の過程の中にある。従って現在の発達段階では、未知の現象や法則、または法則体系などが無数にあることを想い起こすべきであろう。
まことにもニュートンが言ったごとく、「科学者は神秘の大会の渚に打ち寄せられた無数の貝殻(現象、知識法則の寓意--訳者注)を、一つ一つ取り上げて喜んでいる小児に等しい」のである。
奇跡、即ち超自然現象には、異常(abnormal)現象と超常(super-normal)現象とがある。
異常現象は心霊現象の多く、特に低級霊、動物霊等によって憑依された場合の事象を主として指す。
宇宙は低次元の感覚世界より高次元の世界へと高まり行く複数の超感覚世界より成り立っている。各次元の世界はそれぞれ特有の法則体系を持ち、低次元の世界とその法則体系とは、順次に、より高い次元の世界とその法則体系との中に包摂されている。
高次元の世界の法則が何らかの理由によって低次元の世界に延長され、低次元の世界でその因果関係の説明ができない時、それを低次元の世界では奇跡と称するにすぎない。
しかし高次元(この場合は四次元以上)の法則は、魂が高度に浄化され、真理に関する深き叡智が得られなければ駆使することはできないのである。
いわゆる超自然現象はこの類のものである。