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カテゴリ:科学と神
-------------------------------------- 霊的な現象を「見たことがないから、存在しない!有り得ない!」と否定するのは科学的ではないように思います。 謙虚で豊かな広い心をもてるようになりたいですね。 以下は<科学と神について>宇宙物理学の権威である、池内了、名古屋大学大学院理学研究科教授の言葉です。 -------------------------------------- サムシング・グレートは<神>と解釈できるという意見について 物理学者というのは、神の助けを得ずに自然現象を正確に記述しようとするわけですから、心の上では神を信じていないはずです。 ところが、神の名を口にすることがある。それが疑問だったのです。 では、物理学者はなぜ神を口にするのでしょうか。 物理学では、陽子や電子の質量、あるいは万有引力のような法則は、所与のものとして考えます。 「なぜそのような値や物理法則になっているのか」は問わない。 そこはわからないのです。 人間原理と科学主義への警鐘 20年ぐらい前から「人間原理」という考え方が出てきました。 これは、所与のものとされている物理定数に対して、人間の存在を保証するために、このような値になっていることを示そうとするものです。 例えば、重力定数が10倍違ったら、どうなるでしょうか。 太陽の寿命は1/10に縮まり、その年齢は約46億年から約5億年になってしまいます。 それでは人間は存在できません。 現在の重力定数になっているからこそ、地球では8億年前に生命が生まれ、人間へと進化したのだというのです。 人間原理では、サムシング・グレートへの抵抗を試み、<神>を人間に置き換えようとしていますが、これは間違っています。 生命の進化を見ると、隕石の衝突などのさまざまな偶然が作用しており、人間原理では偶然を説明していない。 やはり、サムシング・グレートはあって、それが物理学を美しいと感じさせ、その成果を大事にしようと思わせるのです。 その意味でも、科学者は謙虚でなければならないと思います。 オルテガ・イ・ガセットは1931年、「大衆の反乱」という本の中で「科学主義の野蛮性」を指摘しました。 専門化が進むにしたがって、科学者は非常に狭い領域しか知らなくなるにもかかわらず、世界のすべてを知っているかのごとく振る舞う。 これこそ野蛮だというのです。 今日でもそれは同じで、専門から一歩離れれば、科学者は無知であることを心に留めておくべきです。 その中で、サムシング・グレートなるものの存在を意識しながら、一歩一歩真理に近づいていく。 これが科学者なのだと思うのです。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
Last updated
2015.10.26 14:15:49
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