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カテゴリ:思うこと
(続きである)
「あわや遭難?・・・そうなんです」編
さて、そのようにくだらない夜は更けて、特に色気を感じることもなく、特に勘定をボラれることもなく、怖いおニイさんも出現せず、ボトルだけは確実に空にして、我々は店を出た。すでに0時を超えていた。おねえさんたちは「また来てね~^ ^」と外に出て手を振って見送ってくれた。基本的に気のいい人たちなのである。 我々はトロトロと歩み始めた。往きには気がつかなかったのだが、帰りはやや上り坂になっている。かなり酒が入っているから、上り坂はきつい。そう、相当きついのだ。100歩も歩かないうちに、「う~ん、もうだめだ。休憩」とT本が根をあげる。私もだいぶ息が切れていたので、それに賛成する。 3人は傍らの倒木に腰をかけ、言葉も発せず、ただただ星空を眺めた。火照った体に夜気が心地良い。 心地良いと、人は眠くなる。T本はすでに膝に顔を伏せて、いまにも眠り込みそうである。 「ブスだって女なんだよなぁ。目をつぶっていれば、やれちゃうかもしれないなぁ」とつぶやいた。 「なんでボトルなんか入れちゃったんだ?」と私。 T本の返事はない。 「おーい、寝るな。眠ると死ぬぞ!」とK山が言ったが、やはり眠そうである。 「う~、死む、死むぅ」と言いつつ、T本は熟睡体制に入った。私は自分も睡魔に負けていくのを感じていた。
はっ、と気が付き、辺りを見回すと、T本は完全に大の字になっていびきをかいている。K山も体を丸めて横になっていた。時計を見ると午前5時に近かった。 酔いが覚めてくると急激に寒さが襲ってきた。東の空もなんだかうっすらと明るくなっていた。 ふと、私は長沢延子の詩の一節を思い出した。
アカツキ 私は目を開く お前めくらでびっこの娘よ 持って行け すべての次元と賭と賭金に費やした私の半生とを
ちょうど我々が生まれた頃に、17歳で死を選んだ無名の少女・長沢延子は、没後17年に『友よ 私が死んだからとて』という1冊の詩集・遺稿集の発表によって突如甦り、その孤独感と虚無感から生まれた強烈なメッセージが話題となり、当時のベストセラーとなった。 あの頃、「青春」と「死」は常に間近にあった。若者は若さゆえに成熟という汚れを嫌い、ともすれば無垢なる死を選ぶ。夭折は一種面妖な魅力があった。フランシーヌの場合も・・・。 死ぬ勇気のない者は、そういう潔さに憧れつつも生き延びて、浮き世に流され、死者は忘れられていく。そして、ときに思い出すことがあれば、「そんな時代もありました」と酒の肴にしてしまう。それは「死にざま」に対して、どうだ、俺は生きているぞ!と開き直る「生きざま」とでも言うのであろう。 ま、そういうことはさておき、我々はこのままでは非常にヤバイのである。まだ宿舎まで相当距離がある。朝食前に帰らないとまずい。それに、朝露というのだろうか、霧も出てきて、視界が白く覆われてきた。さらに、これが一番ヤバイのだが、だんだん寒さが増してきた。 「おい、こんなところにいたらほんとに死んじゃうぞ。起きろ、起きろ!」 私は大声を出した。K山はハッと飛び起き、「うわっ、こんな時間かよ!」 T本はまだスヤスヤと眠っている。・・・と思ったが、よくみると歯がガタガタと鳴っている。寒いのである。 「こいつ、震えながら寝てるぞ」 「あっ、ほんとだ。ヤバイな」 「起こそう」 肩を揺らしてもなかなか目覚めないT本の頬に、私とK山は愛の往復ビンタをくれた。 「うっ、なんだ、なんだ、なんだ!」とようやくT本の目が覚めた。 「死ぬぞ、起きろ、帰るぞ」 「そだな。帰ろう。寒い、寒い」 我々はいまは懐かしき飯場へと帰路についた。そしてその後の行軍は、いつ果てるともしれない地獄であった。我々の衣服(シャツとジーンズ)は濃い露に濡れ、肌に張り付いた。水分を吸って重くなったズボンは歩みをますます重くする。歩けども歩けどもいっこうに目的地に着く気配はない。文字通り先は見えてこない。一寸先は白い闇。 少し休もうと言うT本の提案を、私とK山は断固拒否した。時間がないのだ。 そして、3時間も歩いたと思える頃(実際には40分程度)、我が発電所の煙突が見えた。 「着いた!」 「うん、着いたな」 入り口の戸をそっと開け、我々は忍び足で宿舎に入った。そして我々はお互いの姿を見て、思わず吹き出してしまう。ぺったりと張り付いた髪、乳首が透けて見えるシャツ、まさに全身濡れネズミである。間欠的にこみ上げてくる笑いを抑えながら、我々は寝所に向かった。
(まだ続くのよね^ ^)
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最終更新日
2010年03月26日 03時42分36秒
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