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カテゴリ:切り抜き
2004年(平成16年)9月9日(木曜日)
諏訪正人「ごみ箱と民度」(夕閑コラム)より引用 東京では東京オリンピック(1964年)ごろまで、各戸の前にコン クリートの箱に木製のふたのついたごみ箱があったが、「オリンピッ クなのに、家の前にごみ箱があるのはみっともない」と時の建設相 のツルの一声で撤去され、プラスチックのバケツや袋による容器収 集に切り替えられた。 地下鉄サリン事件以後、駅や道路、公園からごみ箱が次々に消えた。 いま、東京地下鉄の駅には自販機のわきに、空き缶や瓶を入れる猫 くぐりのような小さな穴があいているだけだ。(……) 東京駅を出て、丸ビルから有楽町へ高級ブランドの並ぶ街を歩いて みた。ここにもごみ箱はない。おしゃれな街にごみを捨てる無粋な 者はいるはずがない、ごみ箱がなければごみは出ないと思っている ようだ。 1億円提供されても「見た覚えはない」と頭から否定する政治家、 目視点検だけで大丈夫と判断する関西電力美浜原発の関係者。東京 五輪の建設相ではないが、見えないものは存在しないという哲学が 幅をきかせている。 ごみ箱なんか存在しないという日本。なるほど外国よりも民度が高 い。(おわり) * こうした「ボクちゃんには汚いものなんか何も見えない、見えない ものは見えない、見えないんだもーん」と言って、すべてをなかっ たことにする、そして汚物をすべて隠蔽しようとする「見えない哲 学」に対抗するには「これがお前のひり出したものだ、ようく見や がれ」と言って投げつける「クソくらえの哲学」で闘うしかない。 みなさん、街路にじゃんじゃんゴミを捨てましょう。これ以上はっ きりした不服従と抵抗の表明はほかにない。(蕩尽亭) お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
最終更新日
2004年09月13日 19時35分07秒
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