●スポーツ界に蔓延する暴力・JOCはオリンピック招致より民主化に取り組め●
女子柔道選手らへの暴力や暴言が問題になっていた園田隆二女子代表監督が31日、記者会見で一連の問題について事実関係を認めて謝罪、「これ以上、強化に携わっていくことは難しい」として、全日本柔道連盟(全柔連)に進退伺を出すと話した。ことここに及んで留任などあり得ない。退任は当然の帰結だがあまりに遅いし、監督個人の意志による引責辞任まで全柔連さらにはJOCが、監督に引導を渡せなかったところに問題の根深さがある。 薗田監督の暴行が強化選手のひとりから最初に全柔連に通報されたのは、ロンドン五輪で日本柔道が惨敗したロンドン五輪直後の昨年9月だったが、全柔連は監督を口頭で注意しただけで解任も公表もしなかった。さっぱり動かぬ全柔連に絶望すると共に危機感も抱いたであろう五輪代表を含む女子選手15人は12月、連名でJOCに告発文を提出、実態解明と監督交代などを求めたのだったが、こちらも問題を全柔連に投げ返すだけで、積極的に問題解決に乗り出した形跡はない。で、投げ返された全柔連が行ったのは、薗田監督と6人のコーチへの厳重注意処分のみ、指導体制はそのままだった。 体罰などときれい事を言うが、人を殴るのは犯罪である。被害者の女子選手が訴えなくても刑事警察が動くべき事案なのだ。よもや警視庁出身の薗田監督が刑法を知らないということはあるまい。だが全柔連にもJOCにも、これが犯罪だという認識はカケラもない。 さらに、こうした非常識はこの二者にとどまらず、死亡者まで出すに至った桜ノ宮高校のバスケットボール部監督の指導、リンチまがいの大相撲の稽古など他のスポーツでも当たり前に見られるし、さらには体育以外の教育現場を含む日本社会に深く広く蔓延している。軍国主義日本ではびこった人命軽視、新兵虐待のおぞましい悪弊が汚染した暴力礼賛の社会意識を、まだ日本は克服できていないのだ。 ユネスコが1978年に採択した「体育・スポーツ国際憲章」は、「体育・スポーツの実践はすべての人にとって基本的権利である」と宣言している。それは、スポーツが人間の尊厳と能力の全面的発揮に不可欠であり、個々の人生を豊かにすることで社会発展に貢献すると考えるからだ。体罰の名で隠蔽される暴力による支配はこうした価値観の対極にある。もちろん、偏狭なナショナリズムもスポーツの理想とは無縁だが、日本のスポーツ界は暴力とナショナリズムの害毒に深く侵されている。 今回の事態を報道した海外のメディアのなかには、そんな日本がスポーツの頂点としてのオリンピックを東京に招致しようとしていることに疑義を呈するところも出てきている。当然だろう。これに関連して、時間のある方はリンクを貼り付けておくので「教育における体罰を考えるシンポジウム」の書き起こしをぜひお読み頂きたい。 ご覧の通り、櫻井よしこや戸塚ヨットスクールの戸塚宏ら、名前を聞くだけでゾッとする面々が君が代を唱和して、教育には体罰が不可欠と主張する呆れ果てたシンポジウムなのだが、まるでヤクザのような口調で最も強くそれを主張する人物こそ当時の東京都知事にして、オリンピック招致の提唱者である石原慎太郎なのだ。この世界中で最もスポーツの価値を理解していないゴロツキ右翼が唱道するオリンピック招致運動など、世界にスポーツ後進国日本の恥をさらすだけでしかない。JOCは直ちにオリンピック招致レースから手を引き、本気で日本スポーツ界の民主化に取り組め。 それにしても、日本スポーツの暴力体質に一石を投じた15人の女子選手の勇気を高く讃えたい。彼女たちが不利益処分を被らないよう、国民的な監視が必要だ。 ←ランキングに参加してます、ワンクリックでご協力を