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パクリ騒動でふと思ったのですが。
たとえば、わたしが以前に作ったノベルゲームの最初のシナリオの発想は八神健先生の「ななか6/17」というマンガの設定である「体は17歳、心は6歳の女の子」という設定を自分がドラマとしてシナリオを描くとしたらどうなるんだろう?という着想から入りました。 で、その幼児退行というのを脳の発育障害という設定に置き換えました。そしてさらに、発育障害というキーワードで調べていくうちにサヴァン能力というものに行き着きまして。これは通称「白痴の天才」などといわれる、通常では考えられない特殊な才能がある人(暗算が異常に早い、一回見ただけで瞬間的に記憶する能力が異常など)のことを知り、こちらに関しては映画「レインマン」と、これまたサヴァン能力の主人公である「ジャンジャンバリバリ」というパチンコ漫画(!)、そして、知的障害者の学校を丁寧に描いた山本おさむ先生の「どんぐりの家」などの情報などを加味し、ドラマに組み入れました。 さらに、シナリオの基本構成は以前に読んだ陽気婢先生の「えっちーず」という短編集のマンガの一話より、その男女の関係を入れ替えてドラマ作り。そこにオリジナルのエンディングを考えて一本のお話にした、という形です。 さて・・・この場合、私のこの作品は上記のどの作品とも異質なものです。が、もし、パーツだけあげつらって「○○のパクリだ!」と騒ぐ人がいたとしたら?この場合はどうなるのでしょうか? 少なくとも書いた本人としてはパクッた意識はまったくありません。内容はどれともまったく違う内容なので。むしろその全部バラバラな断片情報を接着し、一つのまったく違うお話に編み上げる行為こそがオリジナリティーだと思っています。 パクリ論争でいつも気になるのは例えばバスケット漫画=スラムダンクのパクリ、とか、弾幕シューティング=東方のパクリ といった乱暴な人も多いということ。 そういう批評に怯えるようでは何も作れないし、そもそもそういう安易でいい加減なジャンル別けして鬼の首を取ったようなドヤ顔している人間が、何か自分でオリジナルの作品を作れるかというと・・・です。 本当のパクリとはいわゆるトレースであったりコピペである訳で。モノを作った人間ほど完全なオリジナル、というものは作れない、だからこそ先人の作品を尊敬し、そして自分流に咀嚼して作り上げる。それが「オリジナル」である事を解っていただけると思うのですが。 おなじ豚肉という素材であっても調理法でまったく違うものになる。だから酢豚を食べて「この料理は豚肉を使っているからトンカツのパクリだ!」という人間には、オリジナリティというものがまったくわかっていない、ということなんでしょう。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
最終更新日
2011.07.20 19:20:02
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