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自分が中学生だった時の話。小学校の頃から近所の友達だったK君、彼は野球少年で中学の部活でも当然野球部に入った。
が、3ヶ月で野球部を辞めてしまう。正確には部活に行かなくなるのだが。 理由を聞いたところ「野球の練習はキツくない。だが、練習後、毎週一回、一年生は反省会と称して部室の床に全員正座させられ、先輩の理不尽な芸の要求や、態度が気に入らないからという理由で竹刀でケツを叩かれる、時にはバケツの水を浴びせられるなど体罰を受けた。それが我慢できなかった」 その行為はどうやら部の伝統になっているらしく、部活顧問の先生も黙認している。 しかし、K君はどうしてもイヤだった。自分は野球がしたいのに、そのための練習の苦労なら厭わないけど、単に先輩のストレス発散のための暴力を耐える事に何の意味があるのか?と。 結局、K君は部活に行かなくなったことで「あいつは根性なしだ」というレッテルを貼られる。しかし、そんな拷問に耐える事に何の意味があるのだろうか?野球(部)が嫌いになっただけではないか? この因習は一年生が2年になったとき、まるで今までのストレスを発散するように新しい1年生にぶつける事になるのでしょう。誰も望まない、何のメリットもないのにもかかわらず。 K君は結局、高校で再び野球部に入ってそちらでは野球を謳歌していたのですが、この手の理不尽が「伝統」として受け継がれている体育会系部活の怖さ、そして、それを経験した人間が「苦しい部活動を耐えた忍耐力」と訳のわからない自信に展開し、似たような理不尽を下の者に味合わせる。まったくの負の連鎖。 先輩後輩の序列をきっちりするため、という理由で、そうやって動物を調教するようにおかしなことをやっている、けど、そんなものに意味がないことは、自分が所属していた軟式テニス部ではそんな馬鹿なことはやっていなかったけど、ちゃんと先輩後輩がうまく廻っていたので立証されますが。 むしろK君が翌年、あたらしい1年生に対して同じようなことをする人間にならない、冷静な判断力があったことを自分は評価したい。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
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