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自分が普段楽しみにしているラジオは「伊集院光 深夜の馬鹿力」で、それこそ録音し、通勤時間に聞いているほどです。
たとえばもし、自分が地方に転勤などになった時、TBSラジオの電波が入らない地方で生活しなければならなくなった場合。月額350円払って聞けるようになるとしたら、喜んで支払うだろう。 これはそれだけ「その番組が好きだ」ということであり、価値を見出している、という意味。「タダじゃなくなったからもう聞かない」というものではないということ。350円程度で今までと変わらず楽しめるなら何の問題もない。 これは昔、長野に住んでいた時に当時人気番組だった「さだまさしのセイ!ヤング」と言う番組が当時長野では週遅れでしかも1時間放送(東京の文化放送では1時間半放送されていた)の短縮だったため、全てを聞きたいがために深夜、毛布をかぶって電波の入りが比較的よいベランダに出て冬は震えながら、夏は藪蚊に悩まされながら、時折重複する韓国語の放送電波と戦いながら、それでも楽しくて仕方なかったからで。 あの当時、ネットでクリアに地方でも聞けるシステムがあったら迷わず利用していたと思う。 たとえば、ネットで違法動画で自分の地区では放送されていないアニメなどを見ることに慣れてしまうと、いつのまにかそれを「権利」だと勘違いする。同人誌のような2次著作物をコミケで売るのはファンの権利であると勘違いする。新聞や雑誌などの記事をスキャンし、ネットにUPしたまとめサイトで無料で情報を手に入れることが権利だと勘違いする。 しかし、当然だがそれは違う。その元を作っている側を怒らせたり、親元が立ち行かなくなったら当然終わるシステムである。 その上でのこの記事を読んで首をひねる自分。 蛇口をひねれば水がタダで出てくるのを「当たり前」と思ってはいけない。水道料金を払っている人がいる、修理補修をしている人がいる、安全な水源を確保するシステムがある。 その辺はもう一度、誰もが考えた方がいい。便利な世の中とは誰かに支えられていて、その支える側にも生活がある。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
最終更新日
2014.04.04 13:36:19
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