「可能性は0じゃない」の扱い方に関して。
たとえば、自分の机の上に置いてあったはずのペンが見当たらない場合。普通はどこかに落ちてしまったのではないか、机の下に転がっているのではないか?筆入れの中に入れてしまったか?あるいは引き出しにあるとか、さっきまで使っていたノートの間に挟んでしまったか?
こういう形で可能性の高い順番で探す。これが正しい考え方。
しかし、いきなり探しもせず「泥棒がいる!俺のペンを盗んだんだ!」に持ってくる。この場合、可能性は0じゃない。0じゃないけど上の可能性よりよっぽど優先順位は低いはず。
で、この「可能性は0じゃない」に囚われて、もっと高い可能性を無視する人。こういう人が科学を信じず、オカルトを信じる、になってしまう。
私が思うに「可能性は0じゃない」という説は、完全に捨てはしないけど、他を差し置いていきなり最重要で検証するものではない、と思うことが大切で。危ない人はこの思考に凝り固まるあまりもっと可能性の高いものを無視する。あるいは「ペンが見つからないのは泥棒連中が結託して口裏を合わせているからだ!」と陰謀論にすらすり替える。
福島と鼻血の件って、こういうことじゃないかなあ。
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