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カテゴリ:世界のモザイク
イタリア、ジェノバの港 モザイクの歴史~要約 (1)古代都市文明とギリシャ・ローマモザイク モザイクはメソポタミア古代都市文明の遺跡から発見されている。現存する最古のモザイクは、シュメール人が築いたといわれる都市国家ウルク遺跡(紀元前4300年~3100年頃)から発掘された建造物の円柱表面を装飾するモザイクである。 ピースに円錐形のテラコッタを使用していることから、通称コーンモザイクと呼ばれるもので、彩色された円錐形の底面を表向きに モルタル上に差込み規則的なパターンに並べることで連続文様を作りあげる。 同じくメソポタミアの都市国家ウルの王墓(紀元前2500年頃)から発見されたウルのスタンダードと呼ばれる衝立状のモザイクは、現在大英博物館に収蔵される。ラピスラズリを背景に真珠母貝の薄板で人物や動物を型取り、画面の縁取りを石灰石で装飾した象嵌モザイクで、戦争と平和を題材とした図像が描かれている。これらの遺物から、古代都市文明においてモザイクは建造物の装飾的要素として、またはモニュメント的な造形物として都市の中に存在していたと思われる。 ヘレニズム文明の頃、モザイクは技術と表現力が洗練する。マケドニアのペラで発見されたアレクサンダー大王のライオン狩りと名づけられたモザイクは、紀元前4世紀に作られた舗床モザイクである。天然の玉石を巧みに利用し、抑制された色彩とエレガントな姿態の美しい作品である。紀元前2世紀頃には様々な色彩の大理石を刃のついたハンマーと専用の割台で割り、サイコロ状に加工したテッセラと呼ばれる材料でモザイクを作る技術がギリシャから小アジア、北アフリカ一体に広まる。テッセラの発明により色彩の選択肢が広がり、色彩の混色や明暗法等、複雑で細密な表現が可能となった。 さらにテッセラという基本形が確立したことによって分業化が進み集団による作業も容易になった。このように紀元前2世紀頃には現代につながるモザイクのスタイルは確立されていた。その後、ローマ帝国が地中海沿岸からほぼ全ヨーロッパを征服するに至り、モザイクは小アジアや北アフリカからイタリア半島へ広まり、さらにヨーロッパ各地へと伝播していった。材料は、大理石、花崗岩等の石材が中心であるが、彩度の高い色彩には、ごく限られた範囲でズマルト(モザイク用に製造された色ガラス)を使用した作品もある。これは当時、ズマルトが大変貴重で高価なものであったことを裏付けるものであり、富裕層の邸宅の床や円柱、噴水のモザイクに多くみることができる。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
最終更新日
2013.03.08 08:05:32
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