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カテゴリ:ふるさと~松本、安曇野、塩尻
"メキシコのチチェンイッア遺跡" 最近、ブログ更新について~エスペランサのお詫び 2013年9月22日に生命にかかわるアクシデント(事実は後日記す) のため10月10日に更新。記事は国営富岡製糸場の再録です。 国営富岡製糸場と女工哀史(2013/9/8訪問) 初秋の頃(2013年9月)、霧の中、高速を飛ばし松本から群馬県富岡にある2014年世界遺産 推薦の国営富岡製糸場を訪ねた。あまりにも製糸場全体の規模が大きいのにまず驚く。概要は 重要文化財の東西の繭倉庫、繰糸場、検査人館、女工館など。この日本初、東洋初の製糸場は 明治5年始業でフランス式繰糸器が使用された。 この製糸場の一番の特徴は日本の資本主義を生み出した場所。当時の主要な輸出品である絹 糸の輸出によって明治維新政府は外貨を稼いだ。ガイドの説明の中で私の頭に浮かんだのは、 この国営富岡製糸場の研修生(全国から製糸技術の研修にきた女性)と”ああ野麦峠”などの 映画で描かれた明治~大正時代の女工哀史の女工の待遇の違いでした。 フランスから招かれた技術者のブリュナなどは当時の政府の大臣クラスの年収と聞いた。 (現在の価値にして年収で6億)富岡製糸場の研修生は8時間労働でよい賃金に福利も充実して いたとのこと。全国に製糸工場を広げるため研修生は各地で技術指導した。 比較できないが女工哀史の女工は8時間以上の長時間労働の上、寄宿生活とランク別の賃金 と劣悪な福祉制度など同じ製糸技術の労働でも大多数の明治~大正時代の女工の待遇のひどさ が日本の資本主義の土台を作る犠牲になったことを感じた。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
最終更新日
2013.10.10 18:25:16
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