お稲荷さんのお迎えキツネのしっぽには火炎宝珠が燃えている。宝珠繋がり・・・
不動明王の後ろの炎茶碗の絵柄お寺の屋根の上火炎宝珠には注意を引かれる東寺の古道具市で買い込んだ焼き印鍛冶屋の親戚があって、昔はふいご祭の時にこのマークをおした饅頭をたくさん「お分け」してくれた何かの時には饅頭をくばり神さんにお供えし鯖寿司を、筍を、いただいたなー「そんな重いもん持って来てもらわんでも、スーパーで買うたら安い安いやん」てなコトを思ってしまうあのわざわざ感が、人付き合いの原点やったなのに・・・伏見のお稲荷さんのシッポについてる火炎宝珠は、神さんの使いであるキツネさんが道に迷った信者さんを神さんの元まで導く光りなのでしょうか夜の夜中まで、こんなに明るくなっては「火点し」の技も、いまではいらないのかも知れへんかつての当たり前の人付き合いを、お金を払って解決する世の中が続いてきたけど近所の高齢のおじいちゃんが知らぬ間にいなくなり泣きわめいていた子供の声がいつの間にかやせ細り・・・静かになったと思ったら、餓死していたとかどっちが良かったと聞かれれば、ちょっと込み入っていた「昔のほーが」と、言ってしまいたくなるようなキツネビ燃えさからなくても、ほわっと、ヒカル不思議な光りは、もう味わえないのかも真っ赤に熱した焼き印を一つ一つおしてた頃の和菓子職人の忍耐力はこの焼き印の劣化と同じようにさび付いていくの、やろなーにほんブログ村秋祭りが近い。毛氈広げられて遊ぶ若者が増えている昔より、今の方がイイナーなんて思っているのだろうか昔と今は、とっても交錯して、交錯して