昭和63年生まれの空想世界
初夏の季節は少年時代が懐かしくなる空気が潜んでいるのか、今日の午後は11年前から貯め込んでいるルーズリーフの整理をしてニヤけていました。1時就寝9時起床。そろそろ、思い通りに眠れないのが苦痛になってきたのでいい加減一度徹夜か超早起きをして生活リズムを補正したいところなのですが、2日大学行って1日休んで2日大学行って2日休むという週間リズムだとどうにも徹夜がし難い環境で困ります。早起きの方が健康に関するリスクも少ないのですが、こちらは難易度が半端ない…。GW前は普通に実践していた気もするのですが、一体この違いはなんなのやら。午前中はサイト更新準備、メドレー制作準備、ゲームプレイ動画制作準備、のどれかひとつをやる予定だったのですが、サイト更新準備を1時間だけやってあとはすべて放棄してしまいました。なんていうか、こういう中途半端な中間休日は自分にとってあまりいいものではないのかも。普通の連休でいう日曜日にあたる、いわばバックアップがないために何かの為に一日を投じる勇気が出てこないんですよね。そんなこと言ったら日曜日は何のためにあるんだという話になるのですが…こういう意味では去年の週休3日体制は相当よかったのかも。午後はWILLCOM PLAZAに行ってプラン変更と住所変更をしないと、ということででかける準備をしていたのですが、出かける寸前に一度店のページを公式サイトで確認したら、『定休日:水』という文字列が……。おいおいここまで準備してそりゃないよ。せっかく準備をしたし出かけないのも息苦しい気分だったので方向転換して家電量販店に足を運びました。そこでiPod nanoとiPod touchの実機を触らせて貰ったのですが…これってプロパティとかないんですかね?再生中画面をどういじってもでなかったんですが。もしかして同期とかってあくまでもiTunesに合わせるのみの一方通行?と、iPodに対する現実を見たと言うか…逆に言えば、WMPってこれでも結構いい方なんだな、というのを実感しました。mp3プレイヤー購入作戦で最有力候補だったiPodシリーズは候補から消え、残るは米国メーカーCreative"ZEN"か韓国メーカーCowon"S9"、そして国内メーカーではオーディオ系で有名な数社のmp3プレイヤーが残るのですが、なんかiPodがここまでシンプル過ぎると知って、なんだか購買欲が冷めてきています。再生カウントなんて気にしないのが当たり前だというのは知っていましたが、iPodがここまでとは…。帰宅後にオンラインマニュアルも読んでみましたが、自分がいじった以外の画面はどこにも見当たりませんでした。同期はできると書いてあるので、表示されていないだけでiTunesには反映され、基本的にプレイリストはiTunesで作る仕様なんじゃないかと思っています。なんだかんだで手元のWMが自分の理想に一番近いのかもなぁ…。帰宅直後にアイスを食べ、それも終わってからはさて午後はなにしよう、という事になったのですが、徒歩1時間がこたえたのか物凄い疲労感が…。思えば準備した時にそのまま大学へ行っていればよかったんじゃないか、と若干後悔しつつも、とりあえずPCの前に座る気力がなかったので冒頭にも書いたように、ルーズリーフを取り出して整理する作業を開始しました。“2009年計画”と称した大きな企画の一端として、2000年代が終わるにあたって昔の自分をできるところまで把握しておこう、というのがこの作業。まだ具体的な段階ではないのですが、暇だったので着手することにしました。前回、ダンボールに詰まったこのボロボロの紙達を取りだした時は推定1,500枚はあるんじゃないかと書いていますが(#1563「9年前、そこには確かに」参照)、今日はその推定という文字を取っ払うべく、分類しつつ、また懐かしく思いつつ、その数を数えていました。結論から書くと2009年分も含めて851枚でした。去年7月の時は100枚入りルーズリーフの厚みと比較していたのですが、どうやら古くなっていくうちに折れたりしたのが原因で体積が増していったようで、それによって必要以上に多く見えてしまったようです。とはいえ、去年の自分が言う“1,500枚”は勉強関係のノートもすべて含めており、今回はそのジャンルのものは除いたので、その分の誤差もあるとは思いますが。まぁ、勉強ノートを足せば多分間違いなく今度こそ1,000枚は突破してるはず。積み上げていったら高さ14cmほどになりました。まぁ、そんな整理をする意味などは後日語るとして、読んでいて、今回は特に当時の年に注視していたのですが…当時の自分は日付を入れる癖がなかったのが本当に残念です。当時ハマっていたゲーム等から察するに1997年か1998年辺りからあるはずなのですが、日付が入っていたのは結局去年ざっと見た時と同じく1999年年末計画でした。見るかぎり、日付を入れる癖が付いたのは2003年からのようで、2000年代前半では2003年が見る中では一番多かったような気がします。一番少なかったのは2005年。ちなみに、最近のも含めれば、一番多かったのは計画癖が付いた2008年の120枚。とはいえ2009年のものも今日で100枚を突破したので、今年が一番になるのも時間の問題だとは思うのですが、問題は高校時代のノートの少なさ。勉強関係では2005年~2006年が最も多いという話はさておくとして、多分、趣味関係で物書きが衰退した原因はパソコンにあるんじゃないかと思います。共有PCが実家に来た2003年夏以降の日付で残っているルーズリーフの量が2002年以前と比べて明らかに少ないのは、情報を残す手段をデジタルに変えたためなんじゃないかと。台頭したものとしてこのブログをすぐに思いついたのですが、なんていうか、これは発進の手段や対象が違うから全く別物のような気がする…。それはさておくとしても、何より、その2003年を境目にして自分が書くものがいわば創造的ではなくなっていることに気がついたのです。多分、いつか長ったらしく書くとは思うのですが、2002年以前の産物は、いわば二次創作的にものごとを楽しんでいました。ゲームで言えば、エンディングの後を想像してみるとか、オリジナルキャラを作るとか。しかし、パソコン利用元年の2003年からは、購入予定のゲームの情報まとめだとか、攻略関係のメモだとかが多くを占めてしまい、自分で考えたものを紙に残すということをしなくなっていることに今更気が付きました。自分が書いたものだから、自分にとってはその理由も明白で、つまりはネットを利用することによってルーズリーフ上もブログに公開する前段階の産物となってしまい、見せる対象が身内のみから不特定多数へと変わったことで、自分が書き残すものが一転して変わってしまったのではないかと。そして、次第にはゲームの購入感覚が狭くなって一つ当たりの重みも薄くなり、もはや趣味に関するメモとしてすら使わなくなったのが2005年でした。その代わり台頭してきたのが、今も存続している計画草案といったプライベート空間。そしてこのブログというわけです。今でこそ、景気悪化と就職活動が重なって悶絶している世代ですが、僕は昭和63年生まれだったことはとても幸運だったと思っています。少なくとも、生まれた瞬間から家にパソコンがあったら、自分の性格だったらすぐにそっちに飛びついていてこんな紙に残すようなことはしなかったんじゃないかと思います。だけど、自分は、自分が書き残してきたこれらに自分というものを見いだせる自信があるし、こういうことをしなかったら、極端に言えばブログも始めなかったと思う。もうちょっと早くPCに触れたかったと思う事がないわけでもないですが、その分野が今こういう風にしてまさに発展途上にある時代に生まれたことで、少年期は紙に書くという表現で育ち、それを踏まえてデジタルで表現することが可能になる、そういう境遇にあることを、自分は少なくとも、不幸だとは思っていません。“自己表現とは何だろう”そんな疑問を持って、自分が作りだした世界をまとめるべく、今、2009年、という時代を生きているんだ。そんなふうに851枚を背負って歩きたくなった、中間休日の夕方でした。