198961 ランダム
 HOME | DIARY | PROFILE 【フォローする】 【ログイン】

 月光院璋子の日記  beside you

月光院璋子の日記 beside you

【毎日開催】
15記事にいいね!で1ポイント
10秒滞在
いいね! --/--
おめでとうございます!
ミッションを達成しました。
※「ポイントを獲得する」ボタンを押すと広告が表示されます。
x

PR

Profile

Ms gekkouinn

Ms gekkouinn

Freepage List

Calendar

Category

Recent Posts

Keyword Search

▼キーワード検索

Oct 16, 2007
XML
カテゴリ:眼差し
こうしたニュースに接すると、心のそこから憂鬱になります。

「中国当局 臓器売買で邦人逮捕 不法経営容疑 移植をネット仲介」

という見出しです。
まずは、
以下のニュースをご存じない方のために転載します。

  **   **:  **

【北京16日傍示文昭】中国公安省は16日、
中国で日本人に臓器移植を仲介していた「中国国際臓器移植支援センター」(遼寧省瀋陽市)の長瀬博之代表を不法経営容疑で逮捕したことを明らかにした。
臓器売買を禁止した中国衛生省の関連規定に違反したと認定したという。
中国で日本人が臓器移植に関与したとして逮捕されるのは異例。

 遼寧省公安当局は9月、長瀬容疑者とみられる日本人を拘束したと瀋陽の日本総領事館に通報していたが、容疑者名や逮捕容疑などを明らかにしたのは初めて。中国外務省の劉建超報道局長も同日の定例会見で事実関係を認めた。

 劉局長によると、長瀬容疑者が代表を務める中国国際臓器移植支援センターは2004年以降、インターネット上に情報を出し、日本人患者向けに臓器移植サービスを提供していた。だが、同センターは登録時の業務範囲を逸脱しており、200人以上に上る日本人が瀋陽や上海の病院で移植を受ける仲介を行っていたとしている。(後略)

  **  ***  ***


いわゆる臓器法案がこの国で成立した当時のことを、
覚えておられるでしょうか。あるいはご存知でしょうか。

この法案、背景が不透明なまま突如として国会で審議されるようになり、あまりに短兵急な流れゆえ、まだまだあった慎重さを期する声がメディアに出ると、例によって議員たちは「十分な審議が必要だ」と皆口を揃えたかのように返答していたので、大丈夫かなと思っているうちに、テレビではいっせいに「臓器移植で救われる命」といった美談が流され、移植手術のために外国に出かけていく患者や家族の声が取り上げられるようになり、
そうなると誰もが反対できない空気が醸成され、反対意見はことごとく無視されるか闇に葬られるかのような流れの中、

いつしか審議は、脳死基準をめぐるものとなり、
(移植が、脳死移植患者からの移植が前提とされているため)、
このときも、この法案を通せば、日本人の死生観を揺るがすだけじゃなく、人間の存在や生き方も問われてくる問題ゆえ、後戻りできない状態を迎えると警鐘も鳴らされたものでしたけrど、「まずは成立ありき」で法案は可決されましたが、
その当時から、臓器売買の問題は指摘されていました。

臓器売買で悪名高かった南米ばかりではなく、すでにインドやパキスタンでも、臓器売買をめぐる事件が多発していましたが、なぜか日本の新聞メディアでは取り上げられることがほとんどなかった。

建設工事作業員として出稼ぎに来ているイラン人やパキスタン人を、何日も何週間も「工事に入るのが会社の事情で遅れているので、ここで待機してくれ」と言ってプレハブに待機させ、郷里に送るお金が作れない出稼ぎ作業員たちの不安が増した頃を見計らって、「病院に行けば、いい金になる話がある」と病院で健康診断を受けさせ、そこで十分な説明もしないままに彼らの臓器を摘出し、いくばくかのお金を握らせて、そこでこう切り出す。
「やっと、工事が始まることが決まった」が、「健康に問題がある作業員は仕事からはずす」と。ほとんどの出稼ぎ作業員は術後の体調不良を訴えたため、「工事は中止」。
こういった詐欺の絡んだ臓器売買事件が多発して問題になっていたのです。

彼らの臓器がどこに売られていたかというと、当時のインドの報道によれば、臓器はアメリカや日本の患者向けに販売されているということでした。

その頃、中国でも、一人っ子政策が人権上深刻な問題を浮上させていました。
第一子が女児場合、出産を届けない夫婦が増えていると。
その女児たちの中には、中国内陸部の家庭に引き取られたものの、その後に悪質な業者によって人身売買の対象として買われていく女児たちも少なくない。子供の移植臓器を求めている人間がいるために子供の臓器は高く売れるのだと。つまり、一人っ子政策の影で、社会的に受け入れてもらえない乳幼児が人身売買と臓器売買の犠牲になっているということです。

こうした話を医療関係者から聞かされたばかりの頃、
驚くべきことに、同じマンションに住んでいらしたご婦人から聞かされた話は、
まさにそれを裏付ける話で衝撃を受けたものでした。
彼女は当時50代半ばで、長年ある臓器を病んでいて通院していらしたのですが、
同じマンションということで生協での共同購入の班を作った関わりから隣人として親しくさせていただいていました。それで気を許して話して下さったのでしょうが-----、
こんな話をされたのです。

「この病気には、新鮮な臓器が効くんだそうです」
「新鮮な臓器?」
「ええ、だから赤ちゃんの臓器が一番いいらしくて、そういうのは日本じゃ手に入らないけれど、中国では買えると教えられたんです。」
「ええっ」
「それと、中国から帰ってきた方の話では、乳児の胎盤が○○病にはすごく効くそうで、良かったら手に入れられるけれどって言われて」
「それって----」さすがに青ざめたわたくし。
「50万円で手に入ると聞いて、どうしようかしらと主人と相談しているんです」

無論、それは闇商売が絡んでいる話で、仮りに中国でそうした臓器売買が闇で横行し、ある階級の方たちにとって非公認ながら医療行為として認められ行われていたとしても、日本では違法な行為でした。医療と呼ぶことさえ憚られる話で、いかに病気でお悩みだったとしても、やっていいこととやってはいけないことがある。思いとどまるようにお話させていただくのが精一杯だったわたくし。

もう十数年前の話。彼女も亡くなられたと風の便りで聞き、彼女にその臓器売買の話をされた方がどなたなのかは探りようもないけれど----、彼女のご主人の収入と社会的立場と暮らしぶりを考えるに、闇の商人の方から直接そういったアプローチがあったとは思われず、今となってはすべて時効ゆえ、ここに書かせていただくことにしましたが----
思い出してもぞっとする、いろいろな意味であってはならない話だと今でも身震いを覚えるのです。

けれど、いまやこうした話に誰もが驚かないでしょう。
日本で臓器移植が医療行為として認められた時から、ある一線がなし崩し的に日本からなくなっていった。そう思うのは、わたくしだけではないはず。
臓器移植が医療として合法化された瞬間から、臓器売買は始まる----
こうした流れにかつて衝撃を受けた分、臓器移植法案をそうした問題とからめて審議されることを期していましたけれど、非力であったために問題の先送りを許してしまった----


ap6「絶えざる御助けの聖母イコン」聖アルフォンソ聖堂.jpg
(聖アルフォンソ聖堂の「絶えざる御助けの聖母のイコン」)

かろうじてあったはずの日本的な倫理感や宗教的な意識や情操も、この法案でなし崩し的に失われてしまった。
日本の伝統的な仏教では、臓器移植は、輪廻思想上この世で臓器をなくした人間の来世は、その臓器がない体になるか、あっても脆弱な状態で生まれてくると考えられているので、ブッディストで臓器移植に賛同される方はいらっしゃらない。親からもらった身体を傷つけてがならないといった思いは、そうしたところから生まれていますが、臓器移植法案可決に際して日本の仏教界は多くは、「移植で助かる命」という言葉の前に、沈黙してしまった。それほど≪空気≫というのは強大な力を持ってしまう----、こうしたものが、なし崩し的に失われてしまったのかもしれません。
ある知人は、人助けがしたいということで臓器移植のコーディネーターになってまったし、
いまや、移植コーディネーターは尊崇の対象の職業だとか。

臓器移植で助かって元気な生活を送れている方の情報ばかり流されているけれど、臓器移植で亡くなった方たちがどういった亡くなり方をしたのかは、情報開示されていない。けれど、誰も「臓器移植って問題だ」とは大きな声で疑問だとは言えない状態----

そうした中で、今回のように臓器売買ブローカーが逮捕されたわけですけれど、
逮捕された人間の背後には、過去にも現在にも、こうしたブローカーによって移植の手術を受けていらっしゃる患者と家族たちが相当数いらっしゃるわけです。
金儲けであれ、助けたいという思いであれ、
その移植された臓器の持ち主だった人間や子供たちの存在を、表向きの説明で納得する感性を、わたくしは疑うばかり。

日本で行われている脳死移植施術にしても、
そもそも、この脳死という言葉自体が、移植を前提として生まれた言葉。
はじめに移植ありきなのです。
助かる命でも、永遠に生きられるわけではない。
いつか人間は皆、必ず死を迎えるのです。
死すべく運命、それが生物の共通の掟であり運命です。

わたくしは、個人的に脳死移植も生体移植も、自分がどんな状況になってもしませんけれど、したいという方の自由は尊重します。そこで、日本の伝統的な文化や宗教や死生観が失われていくとしても。
個人的な人権をここまで容認する時代となってしまった以上、時計の針は戻せない。
基本的人権として個人の自由がここまで認められる時代となった以上、多くの方がそれに異を唱える状況にならない限り、これまた時計の針は戻せない。
わたくしも、その戻せない時計の針にしたがって生きてる一人だから、
かくなる上は、反対はしません。

けれど、
いまだに開示されていない情報の向こうに、
どれだけの非人道的行為がまかり通っているのか、少しは想像してほしい。

ap7 聖母マリア「街角の聖母イコン」(ロベルト・フェッィ作).jpg
(ロベルト・フェッィ作の「街角の聖母」(イコン)」


誰の臓器かは不問で、「一個50万円」の臓器をアルコール保存し薬用に転化して売買されているものなら、あなたはかまわないですか?
病気治療に効果があるからと聞いて、その治療のために買います?
あなたやあなたの愛する人をそれで助けられるとしたら。
また、新鮮な臓器が入手可能で、それを移植したら、あなたの愛する人の命が助けられると聞いたなら、その入手に5000万円かかるといわれ、あなたに支払う能力があったとしたなら、あなたは支払いますか。

その臓器が、生まれてきたのに生きていくことを望まれずに捨てられて、さらにその体から本人の了解もないまま摘出された臓器だったとしても、それでその子供が死んでいたとしても、あなたは買いますか。ご自身と愛する人のために。そうして助かったとき、命の賛歌をしたいですか。

臓器売買は、需要がある限りなくならない。
そして、それで金儲けする闇ブローカーもなくならない。

禁止しているのは、共同体の文化や宗教の戒律ではなく、
国会で審議されて作られた、いかようにも変えられる法律。
違反してもただの違法行為となってしまったものは、
もはや、なくならないのです。








お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう

Last updated  Oct 19, 2007 03:18:17 PM
[眼差し] カテゴリの最新記事



© Rakuten Group, Inc.