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hana7899@ タケノコさんへ 軽井沢ほどではないものの、蓼科も保養地…
hana7899@ joeさんへ 優しいところは、そう夫に似て!って、私…
hana7899@ タケノコさんへ 生キャラメルも値段が高いだけに自分では…
hana7899@ アップルツリーさんへ こんばんは。 そうなんです。ホッケが怖…
hana7899@ miyataさんへ 夫は昨夜ちゃんと出刃包丁と、刺身包丁を…
May 13, 2009
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毎回長くて申し訳ないのですが、明日まであと二回ほどお付き合いくださいませ。

今日は、蓼科湖畔にあるマリー・ローランサン美術館について書いておこうと思います。


チェックアウトと朝食の前に、まだ緑の少ない時期でしたけれどせっかくですから女神湖の周りをお散歩しました。
ここの山菜の時期は、GW明けとなるそうです。
確かにようやく木々が芽吹き始めてきたばかり、湖周辺の散策も新緑の時期でしたらもっと気持ちの良いことでしょう。

女神湖朝の.jpg

そして何と言っても、こちらは紅葉の時期が最高のようですぽっ

湖周辺の木々の紅葉、下に落ちた色とりどりの落ち葉で一面となる様子はとても美しいそうなのです・・・などと書き、その時期に思いをはせてみるともう一度訪れてみたくなってしまいますが目がハート


昨夜の食事がとても満足できるものであっただけに、朝食もと思ってしまいますねぺろり
朝食は別のところプラザホールにてのビュッフェ・スタイルのもので、出された内容もごく普通のものでした。
中は沢山の人でいっぱいです。こんなに多くの人が宿泊されていたのですねぇびっくり

並べられた数々は、卵に地元で生産されているとの表示があったくらいでごく普通の品揃えです。
パンやペストリー、フルーツ、ヨーグルトも、前回の新潟のホテルの方がずっと美味しかったように思えました。

しかし宿泊してみて、お部屋はまあまあ、夕食は美味しくて満足!と、全体的な印象は良いものです。
家からそれ程の距離でもないことからも、別の季節にもう一度行ってみたいものと思っておりますスマイル


翌日はあいにくの曇り空、寒い一日です。
予定していたロープウェイも山の上に行くともっと寒そうですし、「どうしましょ」と行ったところは「マリー・ローランサン美術館」でした。

こちらの美術館、 隣に位置するアートランドホテル蓼科のオーナーが多年にわたって蒐集した個人コレクション100点余をもとに、マリーの生誕100年を記念して1983年に開館しましたものだそうです。

淡い色調と簡潔なフォルムによる憂いをたたえた詩的な女性像という、独自の画風を作り上げた画家マリー・ローランサン。
1920年代のパリでデビューをし活躍をした、当時はマリーに肖像画を注文することが上流婦人の流行となり、また舞台装置や衣装のデザインなどでも成功を収めました。

画学生時代から晩年にいたるあらゆる年代の代表作を網羅した油彩画のコレクションを核として、美しい水彩画や、学生時代の膨大な量のデッサン帳を含む素描、希少な初期版画をはじめとする版画などの絵画作品が展示されておりました。
また、マリーの原画による挿絵本や、画家自身の著作集、あるいは画集といった貴重書のコレクションまでも。

マリー・ローランサン.jpg


館内は撮影禁止となっていましたので、内部で撮った画像はありません。

最後にショップで、カンバス地の複製画をお買い物して来ました。
その絵は今、我が家の玄関に飾ってあるのです。


いまいちの天候のせいか、私達の後からも次々と入館してくる人がいましたけれど。
「興味がないから、ふたりで行ってきて」と夫はホテルのロビーで待っておりました。
確かに淡い色彩、この女性らしい繊細な官能を表現した画風は女性向けと言わざるをえないことでしょう。



そこからすぐ近いところに、日本を代表する映画監督の小津安二郎記念館 無藝荘(むげいそう)があります。

小津監督は 名作「東京物語」 をとり終えた頃、蓼科にあった脚本家の野田高悟の別荘「雲呼荘」 を訪れ、それ以降仕事場を蓼科に移し没するまでの7作品すべてのシナリオがここで書かれたという事です。

2003年には、小津安二郎生誕100年を記念して小津監督・作品に魅了された国内外の監督・ゲストを招いて国際映画祭として「蓼科高原映画祭」が開催されて、それ以降その映画祭は現在まで続けられています。


建物の内部は無料で公開をされていますので、誰でもが自由に中の見学が出来るようになっています。

無芸荘.jpg


腰を屈めてはいる玄関、中は広い二間続きの日本間、北側には台所、洗面台、お風呂は五右衛門風呂です。

火の炊かれた囲炉裏端で、来館者にガイドの方が説明をされていました。この後、私達もうかがう事ができました。

蓼科の仕事場として、また蓼科での生活の場として野田夫妻と暮らした「雲呼荘」は既に取り壊されて残っていません。
しかし映画関係者を招待したり、所用で来蓼した中央のいろいろな人々をもてなした迎賓館として、まさしく小津監督自らが心を解き放った場所こそが小津監督自らが名づけた現存する「無藝荘」なのだとのことです。

「無芸荘」は戦前、諏訪の製糸業で名高い片倉家が蓼科の別荘として地元の農家の旧家を移築したもので、大木戸やくぐり戸、板戸や囲炉裏、屋根下全面に張りつけられたシラカバの皮などが特徴的な萱葺きの建物です。
当時「片倉山荘」と呼ばれていたものを小津監督が「無藝荘」と名づけました。


そうこうする内に、外では少しずつ雨が落ちてきています。
帰宅するにはまだ早い時間ですが、やはりここは蓼科。
だんだん気温も下がり、寒くなってきてしまいました。

この日、最後に私達が訪れたところはどこでしょうかウィンク・・・・





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Last updated  May 13, 2009 06:06:00 PM
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