【映画の内容に触れますので、お読みになりたくない方はどうぞスキップなさって下さいね】
「教科書に出てくるアントワネットを撮る意味はない」とのソフィア・コッポラ監督の言葉、
かなり意味合いが深いのではないかと思います。
教科書とは、教育機関で正規に学ばれている史実はもとより
アントワネットの革命を招いたヴァンプという印象を深める、当時のプロパガンダ
(民衆側だけでなく、「オーストリア女」にすべてを押し付ける貴族側の思惑も含め)を
そのまま受け継いでいるテキスト、映画を含めた作品群を指しているのではないかなと。
三部会の開催、バスティーユ攻撃、革命広場での復讐劇といった政治向きな出来事から
「パンがなければ・・・」といった傲慢さが一人歩きしたセリフも
そしてあの有名な事件のエピソードにもほとんど触れずにこの時代を描くことは
かなり勇気のいること。
その分、かえってアントワネットの真の姿を過たずに表現できたのではないかなと。
あまりにも有名な160万リーブル(192億円)の首飾りを巡る事件は、
王室の贅沢の果てに起きた出来事で
マリー・アントワネットの浪費の象徴ともされていますけれど、
確かフランスが抱えていた借金の総額は45億リーブルで約3000倍。
首飾りはもともと舅のルイ15世が愛妾デュ・バリー夫人に用意したもの、
王妃はその値段を聞いて購入を断念したそう。
アントワネットの民衆とはかけ離れた経済観念をもってしても160万リーブルは大金で
日々重ねられたファッションなどの経費が国家を揺るがすほどに昇ることは、
実はなかったようです。
一方、国にとってもっともお金のかかる大事業が戦争。
アメリカ独立という対イギリスという面子が主目的の戦争に加担しても
金銭的にはほとんど見返りはなかったでしょう。
増してアントワネットのおかげでオーストリアと同盟を結ぶに至るまでは
欧州各地で戦争に戦争を重ねていたフランス、
累積赤字は、首飾りのひとつやふたつ、個人の出来る派手な贅沢が影響するような
小さなものではなかったはず。
また、ぽんと愛妾に160万リーブルを出そうという御仁が積み重ねていた借金のみならず
さらにその前王・ルイ14世が建築したヴェルサイユ宮殿そのものの建築費用から始まり
各王族に何百人もの世話係がいる格式の高さを維持するための経費から生まれる浪費体質も
若干18歳で王権を担った二人が後戻りさせようとしても、無理なこと。
(ちょうど同時代の日本で、国家予算の四分の一を消費する大奥を
将軍も御台所も改革などできなかったように。そういえばヴェルサイユでのしきたり、
新参者の扱いから子なき妃に対するいじめまで大奥にそっくりです。)
また、当時の貴族達の領有民に対する傲慢さ、過酷さは熾烈を極めていたようで
その不満の矛先がすべて、目立ちやすく、外国人であるアントワネットに向いてしまう、
もしくは、向くように仕向けられていたのでしょう。
もともと借金大国であった敵国・フランスに嫁ぎ、戦争を終わらせ、
借金とそれまでの王族への不満のかたとして、
国家のために身を犠牲にしたアントワネットこそ、真のセレブリティ。
彼女が人々の心を打ってやまないのも道理。
先日放送された「世界・ふしぎ発見」でのパリの街の声をひろっても
「責任を取るのはルイだけでよかった」という意見が子供にも浸透しているようで
権力者の民衆への搾取が弾劾された時代と違って
現代のフランスではアントワネットに対する見方は、かなり同情的。
なにしろ壮大な無駄と断じられた遺産の数々が、悲劇の王妃の物語を纏って
この先1000年も文化的財産となってかの国を潤してゆくのですから。
ソフィア・コッポラが、あえて革命を象徴するシーンを取り上げなかったのは、
あまりにも有名かつ派手な出来事が物事の本質を見えなくしてしまっていたからでは。
さらりと流して見せつつ、オーストリアからきた少女の
本当のセレブリティが背負わなければならない立場に、
巨匠の名を冠して進む運命の女性が、深く共感しているからでしょうか。
続きはまた。
「マリー・アントワネット公開前夜」
「マリー・アントワネット観賞1・幸せの色」
「マリー・アントワネット観賞3」
「ロココ三様・まずは本物を」
「ロココ三様・女王の作り方」
「ロココ三様・源流から前衛まで」
「エリザベスタウンを観賞」
「欧州鉄道の旅・ヴェルサイユ」
「フランスの薔薇・マリー・アントワネット」
「オペラ座の怪人・ベルばらとの共通項」
「マリー・アントワネットHP」