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カテゴリ:オーラの泉
戦時中の1944年生まれの方がゲスト。
太一くんが美輪さんへ当時何をなさっていたかを質問します。 美「長崎で、原爆が昭和20年(1945年)でしょう? 負け戦の噂がずいぶん飛んでいた頃ですよ。 日本中とにかく大変な時期で、食べるものも着る物も住むところもない。 本当にあの頃は思い出したくもないですよ」 国「負けるとわかっていながらも、戦いは続いていたということですか?」 美「ただ意地で。『精神一到、何事か成らざらん』『一億火の玉だ』とかね。 向こうは原爆を作っていたのに、私たちは竹槍を作っていたのよ。 勝てるわけないでしょう?」 国「僕らは経験したことがないので想像のできない時代ですよね。 今日のゲストの方には僕はバラエティ、トーク番組などでお会いしているんですけれども 天然の方ですね☆子供ですよね、子供のまんまという・・・」 美「わたくし、大好きなの☆純粋でね」 今回のゲストは黒沢年雄さん。たくさんの不思議な体験をなさっていらっしゃるようです。 【スピリチュアルチェック】 ☆ 自分の性格をひと言で→とても楽しい人 ☆ 小さい頃なりたかった職業→スター ☆ 苦手なもの→クモ ☆ 不思議な体験は?→何度も死にかけています。 ☆ 人生の転機→おふくろの死、東宝映画の専属契約の解除、そして、大腸ガンです。 いつもはあまりあがらないのに、今回はとても緊張なさっていると黒沢さん。 美輪さんとは何度かお会いしたことがあり、ある言葉が忘れられないとのこと。 黒「多分お忘れになっていると思うんですけれど 『人間が成功して、いい家を作って、ますます調子にのって もっといい家を作ろうとすると、必ず不幸が来る』 そういう人が周りにいるんですよ。実際に僕もそうだった。 一つそこそこの家を買って、もっといい家を建てた。 そのときに大腸ガンをやりましたから。 それからまたもっと小さい家に引っ越して、立ち上がった」 美「だからいつも言っている『正負の法則』ですよ。 何かを得れば、何かを失う。何かを失えば、何かを得られる。 その話をなさっているの」 国「江原さんとは・・・」 黒「はじめまして。嫌ですねー☆何を言われるか、わからない☆ 結構ね、僕、不思議な体験をしているんですよ」 中学生の時、銭湯からの帰り道で2×6メートル位の大きさの火の玉をご覧になったそう。 黒「誰に言っても信じないですよ。それが3回まわって消えましたよ。 翌日、その家の人が亡くなっていました」 お母さまが亡くなる直前には手の平くらいもある 大きな真っ黒いクモが毎日お家の玄関に現われたり 車にはねられて6メートルほど飛ばされたにも関わらず 擦り傷ひとつ負わなかったというご経験も。 黒「僕は生まれてきたときから仮死状態で、お産婆さんが『もう駄目だ』と言ったのに 生き返っていますから。それでこういう話を信じるんです」 美「人魂はよくありますよ、わたくしも見ました。もっと大きいかもしれない」 美輪さんは原爆のあと、トンネルを通った後に直径5メートル しっぽを含めて10メートルほどの人魂が物凄い速さで飛んでいったのをご覧になったそう。 美「『何、あれ?』その前にトンネルの中でお化けが出ていたのを見ていたんだけれども。 ふもとに着いたら、小学校で原爆で亡くなった人たちを、全部焼いていたんですよ。 だから『人魂ってあれだったのか』と思ったのね」 国「それはやっぱりメッセージとかではなくて・・・」 江「黒沢さんがご覧になったように、人様が亡くなったお家の屋根の上によく出ますね。 あの、クモの方の話は、はっきりわかるんですよ。昆虫というのは、霊媒の生き物。 そのクモを使って、迎えに来た人がいる。 これはTVをご覧になっている方も覚えがあるんじゃないかと思うんですが お墓参りで、妙に自分の周りを蝶が飛び回っていたり、止まったりね。 それは、その昆虫に魂が乗っかって、憑依して、その人を見て 色々なシグナルやメッセージを送ろうとしているんですよね」 黒「それは良くないことなんですか?」 江「いや、メッセージですから。例えばその時のクモであれば 『お迎え』『そろそろ覚悟を』そういうメッセージだったり。 お墓の場合は『ありがとう』という意味だったり。 いろいろな、その人その人のメッセージがあるんです」 美「昔からよく言われますよね。昔の言い伝えで 『朝グモは良い知らせ、夜のクモは悪い知らせ』って言いますよね。夜だったのね?」 黒「あれは気持ちが悪いですよ。だから僕、クモは大嫌い」 江「まあ、あくまでもメッセージですからね。 ラップ現象も気味悪がられたりしますが、あれも必ずしもそうではなくて。 例えば『ドカーン』と大きな音がするときは ちょっとこの世的には悪いメッセージが多いんです。 小さいラップ、金物を床に落とすような『チャラーン』という音は 褒められていたり、励まされていたり。全部同じじゃないんです」 国「大きさとか、音によって、違うメッセージがこめられているということですか?」 江「そうです」 黒沢さんはご先祖さまのことを調べられたことがあり、遡ると平家に。 お父さまのご先祖が茨城で、遡ると長野の高遠に さらに黒沢川、黒沢山という地名に行き当たるのだそう。 黒「今度はそこへ行って調べようと思って」 江「その家系の流れの中に、出家している人が山ほどいますでしょう? お寺ばかり見えるんですよ。 ずっとお調べしてゆくと、きっといろんなお寺に当たると思いますよ」 黒「寺廻りがすきですね、僕は」 国「いつ頃から調べるようになったんですか?」 黒「自分の人生を振り返ると『大した才能もないのに 何でこんなに上手くいっているんだろうな。誰かの力を借りているのかな』と 思ったことがありますね」 美「黒沢さんの人生って、波乱万丈で『良くなったな』と思ったらストン 『あ、調子がいいな』と思ったらストーン。それの繰り返しですよね」 黒「そうなんですよ!本当にそうだねー」 本当に朗らかな黒沢さんです☆ 人生の転機はお母さまが亡くなった、16,7歳で野球選手を目指していた頃。 黒「病院の院長が『長男を呼んでくれ』と言ったので、行ったんです。 『お母さんは3ヵ月もつか、半年もつかわからない』肉腫、今でいうガンなんですよ。 最期はしゃべれない、動けない。家族全員が病室から出されたときに おふくろが僕の袖を持って『年雄、頼むよ』これが最期の言葉ですよ。 僕の人生で、これは強烈だったですね」 国「『頼むよ』と」 黒「長男だから、下に弟が3人いるから」 美「『みんなのことを頼むよ』・・・」 黒「だからこういう人間に、『負けちゃいけない』っていうね。 そのあとグレかかったり、いろんなことはあったけれども そちらの道には行かないで一生懸命、俳優の道を選んだのはおふくろのおかげですよね」 国「何かの節目だったり、悪い方に行きそうになったときには、そのお母さんの言葉が・・・」 黒「出てきますね。不思議とミシンの音と『年雄、頼むよ』というのが パッと出てくるんですよ。ミシンを夜中まで踏んで、毎日内職をしていましたから それがこびりついているわけです」 お母さまは40歳の若さで亡くなったのだそう。 黒「そりゃあ可哀相ですよ。朝起きたら、火をおこしてご飯を炊いて、 たらいと洗濯板で洗濯して、今度は昼飯でしょ。昼飯のあとは洗濯ものを取り込んで、 今度は夕飯。何の楽しみもなくて。可哀相ですよね」 続きます。 *** これまでの「オーラの泉の日記」リンク、よろしかったらどうぞ。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
Last updated
June 12, 2007 09:59:17 PM
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