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カテゴリ:オーラの泉
巧みな芸で愉しませてくれる柳原さんですが、普段はとても落ち着いた方のようです。
国「リラックスするところが家と言っていましたけれども、それだけ人間観察をすると 『自分を休めたいな』と思うと家になるわけですか?」 柳「家になりますね。外を出歩いていると 何かしらヒュンヒュンと会話が入ってきたりして、すごく疲れるんですよ」 美「情報がね、多過ぎる」 柳「そうなんです。だから休みの時はガッと集中して家で休むようにしてます」 国「一回、家に帰ったら、外とかには出ないんですって?」 柳「出ない…もう休みとなったら、コンビニにすら行けない、もう家から出られない。 休むとなったら、全く完全に…」 国「『洋服を買いに行こう』とかにもならずに…」 柳「ならないですね…」 美「もともと、生まれた時からそうだからね。そういう方なのよ、本当は」 国「家では何をしているんですか?」 柳「本を読んだり、犬と遊んだり、父と遊んだり…」 国「父と遊んだり?会話したりということですか?」 柳「あの…すごく仲がよくて、あの…『キヨシ(清)』って呼んでます」 美「面白い☆」 国「お父さんのことを?子供の頃からですか?」 柳「そうですね、小さいときから『キヨシ』。 最初は『キヨシって呼ぶのはどうかと思う』みたいなことを言われたんですけど 『あなたはツヨシでもヒロシでもない、あなたキヨシでしょう? 合ってるじゃない、いいじゃない』」 国「そんなことを言われたら『まあそうだなあ』と言うしかないよね、お父さんは」 柳「今でも結構、よく休みの日は二人でごはんを食べに行ったりとか 居酒屋で飲んだりとか」 国「躾けとかはどうだったんですか?」 柳「母はやはり『勉強しなさい』だとか、ある程度言う人だっだんですけど 父は何にも言わないですね。ここぞという時『ここは叱らなきゃいけない』という時だけ 父が前に出るような感じの家庭でした」 美「昔風なお父さんの役割とお母さんの役割の分担が 昔風に上手くバランスの取れたご家庭だったのね。お幸せだったわね」 柳「父が出てきたら『あ、さすがに自分も、もうやばいぞ、気をつけよう』って 思うような関係はできていました。基本的にすごく過保護だったんです。 30後半の子供だったので、すごく過保護で、母も最初、もうお人形のように育てていて 小さい時に赤ちゃんモデルをやらせたりだとか…」 美「可愛かったでしょうね」 柳「このままです☆4400gで生まれたので☆」 国「大きい!」 美「マシュマロマンの赤ちゃんみたい、可愛い」 国「一人っ子?」 柳「一人っ子で、もうベタベタ育てられて、母親は中学に上がる位まで 靴下をはかせてくれていたんですよ。お洋服も全部着せて、こうしてこうして… 髪も結わえてリボンを付けて『はい靴下』って感じの母でした。すごく明るい母…」 国「『やって』と言ったわけじゃなくて、お母さんがやってくれたというか…」 柳「母は二年前、私が19の時に病気で亡くなったんですよ」 美「お辛かったでしょう」 柳「そうですね…やはりすごく、自分の中でうんと強くなったなって思いますね。 何にしても母任せだったり、それこそ学校を休むでも、バイトを休むでも 母親が電話して頭を下げてくれる人だったので、自分で何かしなきゃと 思うようになったんですね」 美「じゃあ、その切替は大変でしたか?」 柳「大変…でした」 美「だからね、やはり何から何まで可愛がってね『可愛い、可愛い』って可愛がる それも結構、だけどそうすると、その子が一人になったとき、大変な思いをするのね。 だから過保護、保護過剰というのは、自分は母親としては満足、父親としては満足だけれども 子供のためには毒になる場合があるの。それで結局、自分が死んだりしたときに 『この子は一人で生きてるだろうか?』生きてゆけない子が今、いっぱい出てきてるの」 国「お母さんはTVに出ている可奈子ちゃんを知らないで亡くなった…」 柳「知らないですね…」 美「じゃあ、どうやって切り替えてゆきましたか?参考になる人もいるかもしれない…」 柳「うーん…何だろう…その分すごく、19年間が濃かったんですね、本当に。 親が生きているといったら、40、50…それくらいまではだいたい皆さん 生きているけれども、その分の愛情を19年間で貰ったって、はっきり思えるんです。 それで、亡くなったことが母の最後の躾けというか 『きちんと一人で生きてゆきなさい』って言ってくれたんだろうなって… すごく精神的に考えて…自分で変わろうと思って、変わりました」 美「もともと意志が強いのね、あなたは。頑固だし、その意志の強さが いい意味に働いたのね」 柳「そうかもしれないですね…」 国「そう思えるまで、時間がかかりましたか?」 柳「かかりました。今、こういう風にカメラの前でしゃべっていることが不思議なんです」 美「何故?」 柳「うーん…話すことが、まずできなかった。乗り越えられないというか…」 江「あと、悔いもね、あの…たくさんあるから。お母さんはたくさんして下さったけれども やはり自分がね、返すということができずに終わったじゃないですか。 だからそういったことへ悔いもあるし、いっぱい愛情をいただいたんだけれども 自分の方からのこととかが、まだまだ足りなかったのに…という悔いとか。 あとお父さんもお母さんも含めて、全部が自分の世界の全てだったでしょう? 要するにお友達でもあり、親でもあり。本当に家族、お家が大好きなんです。 そうは言っても、結構、衝突もしていたみたいで、お母さんともね。 それも仲がいいからの衝突なのね。要するにみんなが内弁慶みたいなもので 外では出さないんだけれども、あんなに憎まれ口を利けたりとか。 お母さんにしてみたら、すごく充実してるんだけれども、ある部分を見ちゃうと 『いい時間をどうしてもっと過ごせなかったんだろうか』 『何で対立しちゃったんだろう』 その気持ちを、お母さんは充分汲んでいて、お母さん自身の悔いは あまりないんじゃないですか」 国「亡くなったのは、突然だったんですか?」 柳「体はずっと悪かったんです。小学校の時からずっと入退院を繰り返していて… でも、わたし的な心の準備ができるほどの期間はなかったです」 江「お母さん自身にも、割と精神的な不安定さというのがすごくありましたでしょう? やはり体と共に、精神的な不安定さがあったから、すごく複雑なね コミュニケーションの中でのやり取りというのかな、複雑なやり取り、気持ちの上でね。 やはり娘という立場、いや、でもここは大人になって 逆に守ってあげなくちゃいけないっていう葛藤。 でもね、みんな生きていれば、夫婦とか家族になっていれば やはり全てが思うようにはいかないじゃないですか。 それをどういう風に受け入れて、良い方に少しでも向いてゆけるか それが大事だということも柳原さんに、お母さんはある意味で人生をもって 教えてきたんじゃないですか」 柳「それは大人になってから話そうと思っていたのかな…?」 江「そう」 柳「うん…わかります」 江「それはわかるでしょう?だから、そこが断たれちゃったようなところがあるわけ。 だからこれから、本当の心を語れる時だったんだけど…」 続きます。 *** これまでの「オーラの泉の日記」、よろしかったらどうぞ。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
Last updated
February 19, 2008 09:25:56 PM
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