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カテゴリ:オーラの泉
俳優としても活躍される小朝さんは、撮影の際に不思議な体験をなさったようです。
国「京都でUFOを見たっていう…」 小「これは本当に驚きましたね。時代劇の撮影中だったんですよ、河原で。 そうしたらね、何だろう…車で言うと、10メートルくらい前に普通の車があるみたいな感覚、 それぐらいな大きさですから。で、いわゆる『アダムスキー型』ってあるじゃないですか、 あれなんですよ。丸くて下に肉球がいっぱい付いているみたいな… あれがポッて浮かんでいたんですよ。 それで見てね、人間、面白いもので、あんまりはっきりしてると、ぼんやりしちゃいますね。 『あ、UFOだ』と思って。もう間違いようがないんです、はっきりし過ぎてるから。 隣で見てる役者さんもいて『本当だ』と言って…それでスタッフの人に 『あの、ちょっと…UFOですけど』と言ったら、東映のスタッフの人、驚かないんですよ。 『ああ、しょっちゅう出てますよ』みたいなことを…☆『ええ?!しょっちゅう?』☆」 国「手も止めずに☆『しょっしゅう出てますよ』みたいな…」 小「『ええ?そうなんですか?』とか言って、それで違う役者さんにね 『あ、ちょっと、UFO出てます』ってパッと見たら、もういなくなっていたんですけど。 でも、実際に見てる人もいるし…」 国「何人か見てるわけですか?」 小「そう。もう大道具さんとか『了解、しょっちゅう見てます』はっきり見えましたから。 ちゃんとこうなって(UFOの下に付いた丸い肉球に似た形を手で示して)いるんですから、 こういう風に…」 国「何個位くっ付いているんですか?」 小「四つ位だったかな?」 国「四つ位☆」 小「本当にはっきりしてるんですから」 国「何型って言いましたっけ☆」 小「アダムスキー型、後で調べたらアダムスキー型ってやつでしょ、ええ」 国「不思議な体験をかなりされているというような…」 小「不思議な体験というかね、僕は一番伺いたかったのは天気のことなんですけど。 僕は年間、250回位独演会をやってるんですど、僕の独演会の会場が まず雨にならないんですね。それが、ただ雨にならないというようなレベルじゃなくて 『九州に台風が直撃してます』と、その時に僕がツアーをしてるわけですね。 僕の行く会場の周りだけが晴れているわけですよ」 国「周りは雨降ってるのに?」 小「そうそう。それで、僕が落語をやっている間は本当にすごい雨で、独演会が終わると もう雨が止んでたりとか小雨で帰れるとかいう状態で、もうそういうことを挙げたら 切りがないんですけど、天候と僕との関係はいったい何なんだろうか…」 国「これも深く関係してそうな感じですよね」 小「そうですね。それからもう一つは、僕の大親友で後輩なんですけど、あの… 亡くなった三木助(4代目 桂三木助 1957-2001)って方がいらして あの方は自分で亡くなったんですけどね…で、本当に仲が良くてですね オランダに旅行に行った時にホテルでですね、いきなり 『兄さん、僕ね、そんなに長く生きられないと思うんですよ』急に話し始めたんですよ。 『何それ?』と言ったら『うちの親父が早死にだったんでね、うちの親父を越えられれば もうそれでいいんです、年齢的に』『でもまだ若いじゃないの?』 『…兄さん、僕、もし亡くなったら、葬儀委員長やってくれますか?』 『…やるけどさ、まだそんなことないんじゃないの?』『それで、実は…』と言って 葬儀に呼んで欲しい人と、呼んで欲しくない人を具体的に挙げ始めたんですよ。 すごく具体的なプランなんですよ。『何だろう?』と思って… で、それから何年か経って2001年の1月3日ですけど、亡くなったんですね。 それで僕が葬儀を仕切らせてもらったんですけど… その後にですね、あの…彼がずーっとやりたかった 『芝浜(三木助さんのお父様が得意にしていた演目)』という噺がありまして 結果的には僕がプロデュース公演で、彼、やったんですけど、その後、僕がその 『芝浜』を手がけるようになったんですね。その噺をやろうとするとね 僕の周りにパーッと彼の吸ってた煙草の香りがするんですね。だから 『三木助さん来てるな』ってわかるんですけど、そんなことがしばらく続いてたんです。 そうしたら最近、うちのね、女性マネージャーが三木助さんと話をするように なっちゃったんですね。その彼女は三木助さんに会ったことがないんですよ。 でも、よく話をするんですって。『何を話してるの?』って聞くと 『まあ、雑談だ』って言うんですよ。 『他愛無い話なんですけど、よく三木助さんが出てきて話をするの』って言うの」 国「あ、一回だけじゃなくて…」 小「そう。だからね、何か僕に伝えたいこととか、何かあるのかな?と」 国「そのマネージャーさんは霊感は強いんですか?」 小「強いです。…だからこれもちょっと不思議なことで…」 国「なるほど…」 不思議な体験を数多くされている小朝さんに伝えられるメッセージとは。 江「あの…水のことがありましたでしょう?何故『水だ☆』と言って笑ったかというと あの…前世という中でね、お坊さんの時代があるんですよね。で、修行僧だった。 滝行とか、水に行ってて、その前の話にも京都の話、出てましたよね? 実は私、ずーっとね、比叡山が見えるんですよ…」 小「あの、ちょっといいですか?僕ね、京都って大好きで、本当に疲れると すぐに京都行くんですけど『ただいま』みたいな感覚で京都の駅に降りるんですね。 それで、世界遺産で僕、ずっと独演会をやってまわってるんですけど その中で比叡山があったんですね。比叡山の延暦寺(最澄の開いた天台宗の総本山)で 独演会があったんですけど、この時だけ天候が悪くて、中止になったんですよ。 これだけの晴れ男で…なのに比叡山だけ、結局、場所を移してやったんですけど… なんで比叡山の時だけが…そんなことが起きたんだろう…」 江「できなかったから。そこにもまた、ミソがあって☆で、これからはありますよ」 小「あ、そうですか…」 江「比叡山が拒んでるわけじゃないです。要するに、そこが最後ですよね、戻るのは。 そこでかなりの修行僧だったというのが見えるんですよ、高僧だったろうと…」 小「こうそうってバジルとか、そういうんじゃないですよね☆…偉いお坊さん☆」 江「そう。そういう方だから絶対、名前が残ってる方だと思うんですよ。歴史の中でね」 小「歴史の中に名前が残ってる偉い人?」 江「お坊さん」 小「…ちょっと質問いいですか?僕ね、天海(1536-1643 江戸時代の天台宗の僧。 延暦寺で学び、徳川家康に仕え政務にも参加、上野に寛永寺を創建)っていうお坊さんに 異常に惹かれているんですよ。理由がわからないんですけど、もう天海っていうとね 何かブルブルっと来るものがあるんですけど…」 美「徳川家康の相談相手ね」 小「相談相手で…」 天海に惹かれることと水への関心には繋がりがあるようです。 江「ですから、そういった意味では水にこだわる、要するに水、名水…そうしてまた… あの、昔はやっぱり水っていうのは、薬的にも扱われるんです。 あとは穢れ、浄化をするということでもあったり、より神秘的な霊水的なものの とらえ方をしていますから。だからそのこだわりがずっとある。 それは今みたいに水ブームだからじゃなくて、お子さんの時から水の味には 物凄くこだわってたり…水が軟らかいか硬いか、そういったことを 物凄く肌身で敏感に感じるお子さんだったと思うんですよ」 小「はい、はい、そうです」 美「それともう一つね、『昨日は美味しいと思って、今日は月が替わって不味くなる』とか 結局、風水のお水取り(縁起の良い方向の水を飲み、体にパワーを取り入れること)ですよ。 風水でね、お水取りっていうのがあるの。自分に合った、つまり磁場のね、湧き出たお水とか そういうものが月によって変わるんですよ。年によっても変わるの、日によっても変わるわけ」 小「じゃあやっぱり、自分が『いいな』と思っているのを飲んでもいいんですよね」 美「だから東西南北の、自分の今の磁気、体の磁気に合う水を 自然と取り入れてたってことですよ。だから天海も風水をやってたわけですからね。 天海も上野の寛永寺だとか日光東照宮…ああいうものも全部、天海が風水で調べて 『そこにいれば安泰』ということを調べて、風水で建てたと言われているんですよ」 天海は江戸の北東の鬼門を守るために上野の寛永寺を開き 南西の裏鬼門を守るために日枝神社(山王社)を移したと言われているそうです。 続きます。 「オーラの泉の日記」 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
Last updated
December 24, 2008 09:39:41 AM
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