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カテゴリ:オーラの泉
富良野を舞台にしたドラマなど、数多くの脚本を手掛けられた方がゲスト。
【スピリチュアル・チェック】 ☆ めったに出ないバラエティ番組ですが、いまの気持ち→…何故ここにいるのか、 よく分からないですね☆ ☆ 最近、嬉しかったこと→…いっぱい、ちょっとあり過ぎて…はい… ☆ 最近、腹が立ったこと→これもいっぱい、あり過ぎて! ☆ 宝物→…今、育てている森でしょうか… ☆ 苦手なもの→雷とお化け ☆ この番組へお誘いした太一くんへ一言→どうぞお手柔らかに☆ 国「今日は本当に先生、ありがとうございました」 倉「いえ、こちらこそ」 国「あの…今年の頭…先生と一緒にちょっと番組をやらせてもらいまして… 富良野に行って先生のお話を聞いたり…そうですね、本当に勉強になりました」 倉「いえ…☆」 国「たくさんの話を…その中で…まあ出来れば… 『オーラの泉なんかに出てくれないですか?』と…いうような話を…したところ… 『行くわけねえだろ』と☆…いうようなことを、最初言われたんです」 美「ええ☆」 国「でも、今日、ここにおられるというのは、本当に僕にとっては嬉しいことであって… でも先生、いまチェックの中で『何故いるか分からない』と☆」 倉「…本当にそうですね…何か弾みでそうなっちゃったっていう感じで…」 国「そうですよね…あの…(美輪さんに)本当に久しぶりだというような お話がありましたけれども…どのくらい振りになるんですか?」 倉「どのくらいでしょうか?」 美「もうね…ええっと…三十数年か…」 国「ええー!」 美「これは最初ね…奥さまのね、女優さんでいらした平木久子さん…その方に私は 『愛の讃歌』を…ジァンジァンっていうライブハウスに頼まれて… それで私が作・演出でやったときに…私がエディット・ピアフの役でね… それをずーっと見守っている女流作曲家のマルグリット・モノーっていう人がいて… その人の役でお願いして…」 江「実は私この間、北海道をずっと講演で廻っていまして… ちょうど旭川でいつもお世話になっている主治医の先生がいて… その私がお世話になっている先生は倉本先生の主治医の先生でもあって… それも不思議な縁で…それで『富良野に行きましょう』ということにすぐなって… で、その日に私は先生にお目にかかる…ご挨拶も出来て… そしてお芝居も拝見することが出来たんですね…で、その日に先生が… 『実はオーラの泉からオファーが来てるんだけど…』っていうお話で☆」 美「偶然がいっぱい重なっちゃった☆」 江「私はだから…あの…番組スタッフの方に代わってオファーに行ったんじゃないかと☆ …いう風に思った次第で☆」 国「はー…」 美「だからあなたが皮切りで…」 国「そうですね」 美「それが続いてきたのね」 国「いやー…」 倉「あのね、僕の場合…例えば北海道に…富良野ってところに住んじゃった… 気がついたら住んでるんですよ」 国「富良野に?」 倉「ええ。だから作品にしても…『何か気がついたら、こういうものを書いてる』 っていうことが凄く多いですね」 国「なるほど…じゃあ、気がついたら今もここにいるんじゃないかと…」 倉「そういう、そんな感じですね。何かとってもそういうことが多いですね」 江「特にその…今回の『歸國(きこく)』(倉本さんの7年ぶりの新作舞台。 富良野 劇場工場で7/5まで上演)というね…私は大変、感銘を受けまして…」 美「どういうお芝居なの?」 江「あの…要するに戦死なさった亡霊たちが…今の現代に…」 美「兵隊さんたち?」 江「兵隊さんたちが帰って来られて、英霊がね、帰ってこられて この国をどう見るかっていうところの…様々なメッセージ性がありましてね… まさに私…美輪さんもそうですけれども、いつも思っていることが まさにそこに全てが凝縮してあって…後は…一番はやっぱり、お芝居を拝見させていただいて… あの…劇場で…見てしまったんです…英霊たちが来たことを…」 倉本さん脚本の「歸國(きこく)」は、終戦記念日の深夜の東京駅に 第二次世界大戦中、南の島で玉砕した兵士の英霊が帰ってくるというお芝居。 画面には命を懸けて守ろうとした祖国の変わり果てた姿に英霊たちが愕然とするシーンや 「私達は今のような空しい日本を作る為に あの戦いで死んだつもりはありません」という 台詞の後「自分達は何のために命を落としたのか」という行き場のない怒りを抱えたまま 整列した英霊たちが去ってゆくシーンが映りました。 国「いまVTRのの中であった…英霊のシーンがあったじゃないですか…そこで…」 江「あのシーンですよ、まさに最初のシーン(明かりを落とした舞台の中央で 『敬礼』『回れ右』をした一人の兵隊さんが青白いライトで浮かび上がり 暗がりではたくさんの兵隊さんが整列しているというシーン)…一番最初のやつです…の上に… それは…あの…VTRを通してでも…はっきり…」 美「見える?」 江「見える」 国「VTRを通してでも見えてるんですか?」 江「通してでも見える。ズラーッと並んでいる…いるんです」 倉「これ、原作があるんですよ。棟田博さんていう方が昭和30年に書かれた 『サイパンから来た列車』っていう原作なんですね。それはあの… サイパンで死んだ英霊たちが8月15日に、10年後の8月15日、 終戦から10年目の日本に帰って来て…その復興している日本を見て…その… ほっとするという話なんです。 で、それは10年目なんですけども…いま僕がその…60年経って英霊たちが帰ってきたら… いまの日本を見てほっとするんだろうか?つまり、自分達がそのことで死んで 犠牲になって作った日本の平和っていうのが、こういう形のものだったんだろうか?っていう… 自分達が描いたね…そのことを書きたかったんですね。 非常に怒るんじゃないか、あきれて怒るんじゃないかっていう気持ちが非常に強かったんで…」 国「何処が一番、昔と今の日本人で変わったと思いますか?」 倉「…まあ色んなところがありますよね…家族関係も、もちろんそうだし… 国のあり方もそうだけれども…やっぱりだけど倫理観というかなあ…だから最後に僕がその… 『恥を知れ』っていう言葉を強く言ったんだけど…」 美「(拍手)…確かにそう」 倉「今の日本人が恥を…忘れてるっていう…そういう部分が一番…あの…言いたかったですね」 美「恥と誇りですね」 倉「ええ」 国「驚きますね。この番組でも何度も…出てるワードですよね。『恥を知れ』」 美「まさにおっしゃる通りですよね…私いま…もう私だめ…英霊たちがね… こういう風にやって行進してるでしょ…あれを観てね、本当に戦争中を思い出すのね… 慰問に行ったときの…純情でね…本当に純粋に国のためだけを思っているような 純粋培養された若者たちがいっぱいいて…その人たちが…飢え死にですよ。 武器もなくて戦わされて…向こうは火炎放射器や何かなのに、こっちは竹槍ですよ。 本当に可哀想で… それで駅でね…母親が…出征で汽車が出ようとする時に、皆が送りに来てたじゃないですか… そうしたらタラップのところで(敬礼して)やってたの…その子の母親が田舎から出てきてたのね… それで隅っこの方で『ありがとうございます』って…いよいよタッタッと…蒸気機関車でしょう… 出始めた頃に…本当にどうかしちゃったみたいに急にバーッと凄い勢いで(人を)かき分けて… もう汽車が出るのに息子の足にしがみ付いたの。 『どんなことがあっても死ぬんじゃないよ!』って言ったの。『生きて帰って来いよ!』 そうしたら憲兵が『馬鹿者!』そのお母さんの襟首つかんでバンって放り投げたのよ。 そうしたらそのお母さんはね、可哀想に…駅の柱って鉄柱でしょ? 頭ぶつけちゃった…血だらけ…それを見ながら(敬礼して)出征して行ったのよ… で、戦死したの…可哀想でしょ… だからこれはいつまでもね…語り継ぐべきものだしね… こういうお芝居こそ今、必要なんですよ」 続きます。 「オーラの泉の日記」 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
Last updated
August 17, 2009 07:18:43 PM
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