子供が小学校で玉虫を見つけた時、動植物に造詣の深い校長先生に
随分と褒めていただいたのが今も我が家の秘かな誇りの一つになっているため、
法隆寺でこの飛鳥時代の工芸品を間近にできたことは幸せでした。
玉虫厨子が納められているのは、平成10年に完成したという
百済観音堂を中心とする大宝蔵院。
現在、月に一度ずつ放送が進んでいるNHKの
「日本と朝鮮半島2000年」にも取り上げられていましたけれども
観音堂に百済と冠されていることで、仏教が伝来した当時の経緯もわかるように。
石上神宮から法隆寺にかけて、10代の頃に読んでいた
「日出処の天子」のイメージが沸々と再燃してきていたのですが
この作品の中でも、日本に大きな影響を与えていた国々の人たちが
仏教にまつわる文化、政治、技術といった多方面において活躍するさまが
描かれていたのが思い起こされました。
玉虫厨子は、その最たるものの一つ。
子供が玉虫を見つけたときに教えていただいたのは
現在では市内でも年に数回しか捕獲の報告がないということ。
飛鳥時代の自然環境は今よりもずっと良かったのだと思いますけれど
それを何万匹も集めて当時の技術の粋である工芸品の装飾を施す行為から、五重塔同様、
仏の教えに帰依しようとする熱意が伝わってきます。
それは、厨子に描かれたテーマを観ても同じこと。
「捨身飼虎図」「施身聞偈図」は、お釈迦様の前世の物語だそうで
今は目を凝らさねば分からないほどくすんだ面に壮絶な場面が浮かびあがるとき
このテーマが選ばれた意思の強さが、ひしひしと迫るのです。
大宝蔵院には、旧一万円札のモデルと思われる肖像画や
二歳のときに「南無仏」と唱えたという幼い立像もあって。
生まれた瞬間に立ち上がって「天上天下 唯我独尊」と唱えたお釈迦さま、
王子の身でありながら全てを捨てて身を捧げる姿が、現代に住まう私にも
厩戸王子、太子像にオーバーラップしてゆくように。
数々の宝物を拝見し、少し喉が渇いたところで茶所で熱いお茶を。
唐招提寺でも休憩所でお茶を無料でいただきましたけれども、
疲れた頃に、こうした心配りが嬉しいのです。
ここまでで、広い境内のちょうど半分。
法隆寺は当時の最新の学術関連パビリオンの集まった
一大テーマパークといったところだったのではないでしょうか。
続きます。
「京都&奈良探訪の日記