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カテゴリ:日々の徒然
土曜日は9月の環境デー出展のための、わんぱく会会議に参加。
わんぱく会は障がいを持つ人が集まるサークルです。 毎年の環境デーの出展の企画のお手伝いをしています。 みんなのアイディアが集まり、内容も固まってきました~。 帰りに電動車イスに乗っているMちゃんと帰りましたが、普段気づかないところに気が付くものです。こんなに何度もエレベーターであっちこっち動かなくちゃならないんだとか。エレベーター遠い・・とか。 私は障がいを持つ人の支援をお仕事にしているわけではないので、事情や当事者に必要なこととかをよく知らなかったり、実際に介助できるスキルもありません。 体の不自由さによる困難があったとしても、頭で考えたり、感じたり、人に発信したりする自由というのは私もMちゃんも同様です。 自由でなくしているのは、その人個人の中にある気持ちの状況なのだと思います。 自己肯定感、安心感、成功体験、人に対する信頼。 で、その状態をつくっているのが、毎日その人が生きてる環境、つまり親との関係、日々通っている学校や施設の環境だったりします。 これも一つの機会なので、ここを場にして、自分で心地のよい場をつくる、自分の仲間をつくることを体験していってほしいと密かに思ってます。 でも、それは、私(大人)ができるのではなく、Mちゃんと同じ立場、年齢である友達が変えてくれるものな気がします。 自分も過去に体験したことを振り返ると、自分と同じ目線で世界を見ている人、何でも話せる人、一緒に試行錯誤できる人、そうした人がいることによって変わっていく。 そんなことを考えていて、今日たまたま、今高校でサポートしている学校の先生に会いました。 その学校は、いわゆる学力が低い生徒が集まる、劣等感を持っていたり、自分に自信がない生徒が集まる学校です。 私は御用聞きのように、みんなから、おしゃべりしながら、どんな大人に会いたい?と、つなぎやくになって連れてくる立場であると話して、講師をコーディネートしています。 会いたいとは言うものの、目が生き生きしていないというか、「こんなもんだ」と、あきらめてしまっているような感じです。 Mちゃんに思ったことと同じように、何でもすることができるのになぁと、思います。 本当に自分がやりたいことに出あったとき、人はもっと変わるし、動き出すと思いますが、なかなか難しい・・。 って、相談をしたら、まずはみんなでよく語ること、授業意外のところで、私と生徒、生徒同士がよく話すことと、その先生はアドバイスをくれました。 確かにその通りで、その場に対する信頼とかがあってこそなのだーと思いました。 高校生も同様に、彼らを変えていくのは、私ではなくて、一緒にいる友達、多様な考えをもつ高校生がわさわさと集まっているような、豊かなコミュニティ。 ひろーい意味で言ったら、そうした環境をつくること=教育といえて、それは学校に限ったことではないと思いました。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
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