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関係力(相対性)経済学RELATIVITY ECONOMICS

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2011.09.01
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カテゴリ:カテゴリ未分類
「関係力経済学」という耳慣れない経済学の提唱者として長い。この言葉をめぐって、どうもためらいのようなものを感じる人がいる。その原因を探ってみたい。

従来の経済学は「生産力経済学」(古典派経済学やマルクス経済学など)であったり、「消費力経済学」(新古典派経済学やケインズ経済学)であったりする。それはモノにこだわった経済学であった。1970年代の初めにジャン・ボードリヤールJean Baudrillardの「記号の消費」論が登場して、モノから離脱した経済学=社会学が流行し、70年代後半から情報経済学というものが現れた。それは「情報革命」の産物として、意味のある経済学であるけれど、どうも「情報」では範囲が狭すぎる。というのは、情報とは伝達しうる関係のことであるから、それは広義のモノの範疇に入り、伝達も売り買いもされる。この時代には、人間関係全般・深部におよぶ関係の革命「関係革命」が起きているのではないかと思われる。そこから「関係力不全症」が大量発生している。そこでぼくは「関係力」経済学を提唱したのである。ぼくの「関係力」概念のミソは、プラスの創造的な関係力のみではなくて、マイナスの引き込み的な関係力も含んでいるところである。

「関係力経済学」とか「関係経済学」というばあい、英語で本を書こうとしているぼくにとって英語表現が重要である。こういう経済学が存在しなかったのだから、英語表現も困難である。いろいろの英語を検討してみているところであるが、関係をrelationという英語を当てると、関係性はrelativityとなる。関係性は関係力と同義語となることがあるので―生産性productivityが生産力と同義に解されることがあるように―relativityはときには「関係力」とも同義としてもよい。だから「関係力経済学」はeconomics of relativityと英訳できる。ところで、話は逸れるようだが、theory of relativity というと相対性理論と訳される。アインシュタインの創設した相対性理論である。そうすると、economics of relativity とは「相対性経済学」という訳にもなる。これは非常の興味深い言葉の遊びともいえる一致である。

興味深い理由は、いずれ述べることとして、今日は可笑しいという意味の興味深い言葉上の類似性について述べたい。

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すでに指摘したように、関係性=関係力はrelativityという英語を当てると、relativityは相対性とも相関性とも訳せる。ところでこの相対性の「相対」という日本語は現在は「そうたい」と読むことが多いが、古くは「あいたい」と読んだ。現在でも市場を介さずに直接当事者同士で価格や量を決定する取引を「相対取引」(あいたいとりひき)という。古い「相対」こと「あいたい」とは「死に」とくっついて、男女が約束し会って自殺することを「相対死に」(あいたいじに)いう。「情死」とか「心中」などと同じ意味をもっている。この「相対死に」と「心中」の歴史が面白い。近松門左衛門の「曽根崎心中」という戯曲がある。「大坂北の曽根崎天神の森で醤油屋・平野屋の手代徳兵衛・25歳、堂島新地天満屋の遊女お初・21歳(19歳との説もあり)が心中したのは、今から300年前の元禄16年(1703)4月7日のことでした。この心中を題材にして近松門左衛門が即浄瑠璃に仕立てたのが『曽根崎心中』です。この浄瑠璃は翌月に竹本座で上演されて大評判となりました。」と書いて、この「曽根崎心中」この心中事件の2ヶ月前に、「忠臣蔵」の四十七士の切腹との社会的関連を洞察したのは吉之助http://www5b.biglobe.ne.jp/~kabusk/sakuhin72.htmである。「心中」という言葉は、「忠」(ちゅう)という封建時代の重要な徳目、「忠臣蔵」の「忠」であるが、これを分解すると「中」と「心」に別れ、「中心」をさかさまににして「心中」にしたものである。もともと「心中立て」という言葉は特に自殺という意味があるわけではなくて、義理立てというような意味である。それは「忠臣蔵」以前からある言葉である。

「情死」としての「心中」が遊女と客との間で大流行して、社会問題化した。とくに徳川吉宗は「心中」が「忠」と同一視される危険な風潮があったので、封建的徳目の危機として「心中」を禁止した(1721年と22年)。そのときに、権力は「心中」という言葉を嫌って、「相対死に」という言葉を選んだのである。

喜劇は、明治に入って、1905年(日露戦争の頃)に創設されたアインシュタインのtheory of relativityを日本語に翻訳する時に起こった。「相対性理論」と訳すと当時の日本人は、なにかしら淫猥な理論というイメージを心に描いたらしい。「相対死に」はご法度であり、そこに「性」(セックス)がひっついているからである。どうもけしからん理論のようであると、感じられた。だから始めのころ「性」を取り除いて「相対理論」と言ったらしい。「相対性理論」はどことなく使いづらい言葉だったらしい。

もともと「関係」という日本語に「肉体関係」とわざわざ言わなくても、性交の意味がある。

こういうわけだから、「関係力(相対性)経済学」をぼくが、明治の頃に唱えたら、題名だけで発禁処分になるにちがいない。現代でよかったけれど、そういうわけで今でもなんとなく使いづらいらしい。

【写真は内容と関係ありません。バンコクの合衆国大使館壁の落書き】





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Last updated  2011.09.02 23:48:06
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