|
カテゴリ:カテゴリ未分類
PS.正午ごろ、東ヤード(屋根付きコンクリート)が大きく乾いていることを確認。ガレージも乾いている部分が増大。第2台所の浸水は干上がっている。洪水の水位が急速に顕著に低下している。
![]() 科学の相同性というものを信じている。どの科学(自然科学であれ社会科学であれ)、同じ手法(認識論)が適応される。たとえば物理学で起きた科学方法論の事件は、社会科学でも起きるのである。 その意味で、1990年代初頭から勉強しなおした物理学・生物学・数学のうち、また再び物理学の歴史からおさらいしている。今回は、日本語で読んだ量子力学の歴史を英語でメモを取っている。専門外なので、日本語ではなんでもなく使っていることが、英語では何というか分からないことが多く、とても勉強になる。 その上、ああ、対象が比較的単純な物理学でも経済学と同様な論争があったし、あるのだなあと科学の相同性を再確認して興味深い。例えば、量子力学は、実在論的な科学である(あるべき)のか情報学的な科学である(あるべき)なのかという論争は非常に面白い。アインシュタインが、量子力学を情報学的な科学であることに最後まで反対していたのは、平和運動家としてのアインシュタインの思想と重なり合うのだということが今回教わった。量子は実在するのか情報にすぎないかの論争はしばらく棚上げにして、ともかく実験と情報処理でプラグマティックに研究を進めていきましょうというコペンハーゲン解釈(N.ボーア)の物理学のあり方の提案に驚いた。これに対してアインシュタインを含み3人の「EPR論文」にも驚かされた。 それからもう一つ、ぼくが若い頃、V.I.レーニンの大作『唯物論と経験批判論』という本を、たしか平野+大森の共訳(ものすごく古いもの)で読んだ。当時、内容もチンプンカンプンであったが、そもそも、なぜ革命家レーニンが物理学者マッハ主義に憤って延々とあらん限りの悪口雑言で批判した(悪口の辞書ができそう)のか、分からなかった。今回のおさらいで、ようやく分かった。三つ子の魂百までもというけど、分かっても分からなくてもともかく読んでみるものだなあと思う。何十年後に「わかった!」と思わせるのだから。しかもそのマッハ主義こそ、アインシュタインも若い頃影響を受け、現在の量子力学の主流を形成しているのだと思うと驚きと共に興味深いものがある。生きていて良かった!死んでいたら、レーニンの意図が分からなかったまま棺おけに入ったのであるから。 ![]() 3度目になると、冒険もへったくれもない。朝、ぼくは他所に預けてあるポコアポコ(BMWとトヨタの改造車)とナンナさんの車たちが2,3週間ほったらかしにしてあるので、バッテリーが心配で点検に行こうと提案した。そこまで行くのに腰まで水に浸からなければならないから、一応ナンナさんを了承を求めたのである。そうしたら、ナンナさんは、そこまでやるのなら、セントラル・プラザ・デパート(ラーマ2)に行って、美味しいものをたらふく食って、買い物(とくにバナナを含む果物)を買いましょうという。ぼくの決心には時間がかからなかった。レッツゴー!ニックはユッピー!というわけで、冒険に出かけてきた。 車のバッテリーはなんの問題もなかった。 デパートはいっそう棚がガラガラになっていた。 お昼は、ホットポットというビュッフェ方式のタイスキ店で、食えるだけ食った。クリーム饅頭がおいしかったので、それを持ち帰ろうと思って、店員に言ったら、店員は相談して、普段ならこれはお持ち帰りできないのですが・・・と言って11個注文したのになんと20個も袋に詰めて持たせてくれた。3人たらふく食って(ニックの食う分量はものすごいよ!)20個のおいしいクリーム饅頭込みこみで、1000バーツ(2600円)であった。天国みたいな国である。 ![]() 行きも帰りも、警察(政府)に徴用されている乗り合いバス、警察のライトバン、民間の家具輸送車を警官の親切な案内で、乗り継いだ。もちろん、つなぎにタクシーを使ったり、軽トラに乗ったりしたが、これはお金を払った(それぞれ3人で260円、84円)が、その他(バスも含め)は無料であった。車の脇にタイ語で無料と書いてあるそうだ。 言葉ができるということは、情報量が何百倍も違うんだとしみじみ思った。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
Last updated
2011.11.12 15:58:07
コメント(0) | コメントを書く |