大好きな父が亡くなりました。
ご無沙汰してます。ちよです。また悲しい報告になってしまいますが8月13日 大好きな大好きな父がなくなりました。盆の入りに亡くなるなんて 相変わらず・・・やってくれるオヤジでした。とにかく色々な事があったので 少しずつ記していこうと思います。 1か月くらい長野に滞在していました。とてもバタバタしていてブログでも介護の報告などをしようと思っていたのに 出来ませんでした。7月25,26,27日に娘2人と3人で父の様子を見に長野に行っていました。前回会いに行った時に「壁一面に孫の写真を飾って欲しい」と 孫命!の父らしいお願いをされ叶えるため娘たち(孫)は色んな写真やデーターを引っ張り出して良く見える様に大きなサイズに引き伸ばし壁一面に飾ってきました。小さい頃からのじいちゃんと一緒の写真をたくさんそして27日に長野から神奈川に帰宅して 翌日の28日に弟から電話があり 医者から余命2週間と言われたと・・・。29日にまた荷物をまとめてワンズの用意も寄付して頂いたものなどかき集めてバックに押し込みパパさんと長女と6ワン連れてまた長野へ 次女はお仕事があるのでそのまま自宅待機になりました。娘たちにも余命をしっかり伝えました。次女は良く分かっていないようなところがあるので前回おじいちゃんに逢ったのが最後になるかもしれない事をしっかり教えました。そして甘えん坊のかまってちゃんなので今はみんな余裕が無いからしっかりするようにと(笑)余命2週間ってそれまで何も言われてないの???母と弟の動揺が尋常じゃなかったのでネットで余命2週間って検索したの。1~2年とかならズレる事しもあるらしいけど余命期間が短ければ短いほど正確だと書いてあった。もしかしたら早まるかもしれないと最悪の事も頭に入れて長野に向かった事を覚えています。そもそも2年前、私の子宮の手術の1か月後に父は胃ガンの摘出手術をした。胃の3分の2を取ったのです。抗がん剤治療はことごとく体に合わず抗がん剤を使うたびに死にかけた。3度目のチャレンジで抗がん剤は使わない事になり いろいろな場所にガンの転移が見られた。たまにしか会えない私たちには会うたびに痩せ弱っていくのが・・・嫌と言うほどよくわかった。治療できる事が無くなりホスピスと言う病院を紹介された。たぶんこの時点で病院としては本当は死に向かっての話をしているんだろうが母が理解できていなかったのかなと思う。父は分かっていたと思う。ずっと一緒に病院で話を聞いていたらしいから。老人が老人を介護している状態だった。これって社会問題にもなってるのよね。おまけに実家は自営なので母はまだ仕事をしている・・・。「何かあったらお願いね」とは言われていたけれど みんなが 家族がどうしたいのか話し合う前に・・・突然の余命宣告だったのです。話は戻るけど私と1号ちゃん(長女)を長野に残し パパさんは新幹線で神奈川に帰りました。私は遠くに嫁いでいるので親の死に目には会えないと思っているからと言ったのだけど家族が「一緒にいた方がいい」と言ってくれたのです。初めて家族バラバラの長い生活が始まったのと同時に私と長女の短くて長い介護生活の闘いが始まったのです。今日はここまでにしますwわんず達はとっても元気です。とってもがんばりました。そして 家族ひとりひとりをそれぞれのかたちで癒してくれました。私の仕事もこんなに長く制作&販売をお休みしたことはなく 不安でした。9月から制作と販売を再開したいと思います。また細々なのですが わんずのご飯とシーツ代くらいは自分で稼がなくちゃ!と思っているのでwがんばりますどうぞ宜しくお願いいたしますデコグッズ・手作り雑貨のお店るちあんminneるちあん店