いのちのちから
つい先ほど、滋賀の検査から戻って参りました。結果はいつもの如く「グレー」。今度は卵巣と肺のあたりに腹水出現。半年後に再検査です。ただ、今回は「要経過観察」とあり以前のように「再発か?」とは書かれていませんでしたのでそれだけは、ちょっと安心かな。滋賀での検査となりますと、いつも早朝7時前に自宅を出その日の夕刻に帰宅、という日帰りパターンとなります。しかしよく考えてみれば・・その時間帯はちょうどラッシュアワー、おまけに神戸・大阪・京都・滋賀と4つの県をまたぐことに。今回はコロナのことも考慮に入れ前日のうちに滋賀県入り、病院近くの宿で前泊し、検査に臨みました。ビジネスホテルのシングルに入り、荷物を解き夕食は近くのお店のテイクアウトを利用、パソコンも何も持っていきませんでテレビもみることなく夜の8時半過ぎには床につきました。早すぎるかな?とも思いましたがやはり心身ともに疲れ切っていたものでしょう、途中何度か目を覚ましたけれども、翌朝の7時半までぐっすり。・・・いつもは「野菜を買わなきゃ!果物も!チーズも」とバタバタ数件のお店を走り回りアイロン掛けなきゃ!クリーニングを取りに行かなきゃ!もう夕方!洗濯物を取り込む!仕事がまだ終わらない!新聞集金も!草木の水遣り!お皿洗い!繕い物!とわずか数分の時間さえも無駄にするものかと躍起になって日々を過ごしていたけれど出来る限り細く長く生きていくためにはこんな風に「空白の時間」をすごすことも大切なのだ、と改めて思いました。でもね、1人はやはり寂しい (*`◇´)ノホテルの部屋の窓から見える山々の姿に感動してもそれを伝える相手がいない。夕食のテイクアウトにしても自分のものだけを買うのは、つまらない。自分の日々の暮らしは、と言うよりも自分の人生は もう家族なしにはあり得ないのだ・・・と家族の大切さを、改めて痛感。今日の検査結果には、うーん、またこの半年間、いろいろ心配しなければならないなと思いながらも心に何か「重し」がなければ、私の場合、駄目なんだろうなと。重しがあるからこそ1日1日をものすごく大事にできるのだろう。常に病気のこと、生死のことを考えていなければならないのは辛いけれど絶対に自分には必要なことなのだ、と。・・・そう思いながら 電車の窓から見上げた山科の森。緑鮮やかで力強くてこの大自然の力が、きっと、私の中にも隠されているんだと思う。 山科の杜は語りぬ 生き抜けと いのちのちから湧き立たせよと