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カテゴリ:教育関連
読む本がない時に、とりあえず目についたものを借りて読む。そうして手にした本。
副題は「学校の先生がそっと教える」となっているが、こうして公刊していながら「そっと教える」もないものだ。 編者よりも監修者の方が名前の字が大きい。「法則化」という運動で、教育の法則化をはかった人だという記憶がある。 全部で40の「お話」が収められている。 小学校低学年を対象としたものらしい。 それぞれの話の後に、監修者のコメントがついている。 なるほどと思うものもある。 子どもの話し方は、大人の反映です。子どもの話し方を聞き、「ドキッ」としたことがあるでしょう。そんなことまで似てしまうのかと思った人もいるでしょう。 全くその通りだと思う。 わたしが理解に苦しむのは、漢字の字形から日本語を説明しようとするものだ。 たとえば、 「飼」という字は、「食を司《つかさど》る」と書きます。飼った動物の食べ物をどうするか、つまり命をどうするかは、すべて飼い主が握っているということです。(p31) などと書いてある。では、漢字を使わない言語では、「飼う」の意味をどう説明しているというのだろうか。 また、念のために「学研漢和大辞典」をひいてみたら、「解字」には、 形声。「食+音符司」。司のもとの意味とは関係がない。 と書いてあった。 「司」がただの音符でしかないとしたら、この本は子どもに嘘を教える本になってしまう。 第36話「本は心の栄養」にはこんなことが書いてある。 「本」という字の本来の意味が「ねもと」であることを述べ、 大昔から人間は、「人の成長にとって大切なもの、心の成長の栄養になるものは書物である」と考えていたのでしょう。ですから、書物のことを「本」と書くようになったそうです。 「本」を「書物」という意味で使う例が、日本語以外でそんなにあるのだろうか? また、漢字を使わない世界では、「人の成長にとって大切なもの、心の成長の栄養になるものは書物である」とは考えていないのだろうか? 気持ちはわかるがこれはよくない、というのもある。 第23話「病気が治った女の子」。 医師からは治らないと宣告された子が、家族が、何もかも肯定的にとらえて話しかけることによって治った、という奇跡の話。 物語としてはこれでもいいだろう。 しかし、真に受ける子どもがいたらどうするのだろう。 その子の家族が、治癒の見込みのない病気にかかった時、その子は、必死になって、肯定的な言葉をかけ続けるだろう。そうすれば治る、と保証できるのならいい。しかし、そんな奇跡がしょっちゅう起こるわけはない。 そもそも、言葉の力で病気が治るなら、医者はいらない。 困った話だと思ったが、監修者のコメントは悪くない。 ただ、ほめ言葉には、うそはつかないという絶対に必要な条件があります。 肝心の「お話」の中には、その要素が抜けている。 かといって、監修者の言っていることが、常に納得できるものだとは限らない。 家庭内暴力、拒食症などは、この「根っこ」の部分ができていないからだとも言われています。(p141) とはあまりにもいい加減な書き方だ。 断定しているようでいながら、「とも言われています」と逃げがうってある。 第30話「最高のウルトラマンをつくりたい!」には異論がある。 「ウルトラマン」を作った円谷プロが、よりよいものを作ろうとした結果、採算が合わなくなって九ヶ月で放送を終了した、というもの。 半分は事実だし、半分は、撮影が追いつかないという時間的な問題があったはずだ。 わたし自身は、「ウルトラマン」を最初の放送時から見ているし、ウルトラシリーズは大好きだ。 それでも、社会人としてみれば、与えられた予算と時間内で最高のものを作り出してみせるのがプロなのではないかと思うのだ。 そうしなければ、組織そのものがなりたたなくなってしまうではないか。 事実、円谷プロは経営の面では破綻してしまった。 残念ながら、本としては非常に甘いものだった。 読んで退屈はしないが、これでは困る。 その一例。 第12話「ライオンを助けたネズミ」の「参考文献」が、ただ『イソップ物語』とだけ書いてある。 誰が訳したものなのか、いつ、どの出版社から出たものなのか明記しなくては「参考文献」として挙げる意味がない。 たとえば、日本では「ありとキリギリス」として知られている話は、本来は「アリとセミ」だった。 こういうことがあるのだから、もう少し厳密に「参考文献」を示してもらいたい。 楽天ブログランキング←クリックしてください 楽天会員以外の方のコメントは「輾転反側掲示板」へ クチコミblogランキング TREview お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
Last updated
2008.08.06 09:40:36
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