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カテゴリ:偉大な教師達
「偉大な教師達」という題から話の内容がそれてしまっていますが、もう少し当時の私の話を続けさせていただきます。
私が大人達に隠してきたことを、たった一枚の絵から見抜いてしまったN先生に敬意を表しつつ、語らせていただきます。 我々大人も以前は子供だったのですが、いつしか子供の気持ちが分からなくなってしまうことがあります。 私も自分の体験から、幼い子供にとって「親」とはどのような存在なのか!!を忘れないように、自分の体験を忘れないようにしています。 当時の私を悲しませ「寂しさ」の記憶を鮮明に植えつけた体験は数多くなるのですが、その中で大きな2つを紹介します。 当時の私にとって辛いのは、土日祝祭日です。 ヘタをすれば、ほぼ一日家で一人で過ごさなければなりません。 父は出張でほぼ家にいません。 長男、次男は部活やクラブに行ってしまい家にいません。 朝から私一人です。 皆を元気に見送った後の、物音のしない家の中は本当に「寂しい」ものでした。 そのように休日に私一人を家に残さなければならないとき、事前に母は私に必ず何かを買ってくれました。本だったりおもちゃだったり、、、私の好きなものを買ってくれました。 母は自分も時間に追われる生活を強いられながらも、私と何かを買いに行く時間を作ってくれるのです。 そして母は「兄ちゃんらが帰るまでその本読んで待っときや」「兄ちゃんらが帰るまでそのおもちゃで遊んどきや」と言って買ってくれるのです。 休日でだれもいなくなった家の中で私は何もせず階段に座り込んでしまいます。 子供ながらに、そのうち寂しさに負けて泣いてしまうことが分かっているからです。 1階や2階で泣いてしまい、誰かに声を聞かれたらいけないと思い、階段で泣くのです。 その方が声が外に漏れないように思っていたのです。 しかも母に「その本読んどきや」「そのおもちゃで遊んどきや」と言って買ってもらったものを持って座り込むのです。 読むわけでも遊ぶわけでもないのですが、それに母の気持ちというか優しさが残っているような気がしていたのです。 しかしそのうち涙があふれてきます。 何がそんなに悲しかったのでしょう? はっきりとは覚えていませんし、明確な理由なんて当時のわたしに必要はありません。 とにかく子供心に寂しくて悲しいのです。 四十四歳になっていまだに見る夢がこのときの光景です。 母に買ってもらったお気に入りのおもちゃを箱から出すこともなく、、、その箱に自分の涙がぽたぽたと落ちるシーンです。 「自分はなんでここで泣いてるんやろ?」「はやくこの一日が終わってくれへんかな?」「早くお母ちゃん帰ってきてくれへんかな?」、、、、ただただそう思って泣いているのです。 子供にとって『家にだれかがいる』ということがいかに大切なことか! 子供にとって『母親の存在』がいかに大きいことか! 小さいお子さんをもつ親御さん。 それをもう一度再確認してください!! お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
最終更新日
2010.12.15 01:04:46
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