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テーマ:高知のゆるサラリーマン(47)
カテゴリ:農業研修
今日は18時から「農業企業化・法人化講習」というのがあり、参加してきた。
これは私の所属する組織の別事業で雇用対策用に行っている一連のセミナーの一つである。 今回来ていただいた講師は河野律子さんというさいたま市大宮区に事務所を構える中小企業診断士の資格を持つ経営コンサルタント。 さいたま市と言えば先日紹介した釣り仲間で埼玉県警のK氏が居を構えた土地である。それだけで親近感が沸くのだから人間とはなんとエエ加減な生き物なんだろうか。 その講習会に四万十の恩人、寺尾さんもお誘いしていた。終わった後引越し祝いをしてやるよ、とのことでそのまま中村市の小さな飲み屋街に連れて行ってもらった。 ま、半分催促したようなもんなのだが。実に講習会が20時までだったので、食事代わりに軽く一杯頂いただけで9時半になっていた。 寺尾さんが私の仕事のことを気遣ってくれてそれで解散。私は明日のことも考えずに深夜まで飲み歩くなんてのはちょっと苦手だから有難い。寺尾さん、どうもご馳走様でした。 ま、それはともかく桂浜遠征の続きを紹介してしまおう。 じゃ、ようやく坂本龍馬記念館から坂を下りてすぐの今回の本命の場所へ。 前回払えなかった400円を払って駐車場へ。 まず土産物屋の間を抜けていく。 ここをはじめて訪れたのはまだ10歳の頃だったろうか・・・・・・ 夏休みの家族旅行で四国を訪れた。全く記憶はないのだが多分香川の高松空港辺りに上陸したんじゃないかと思う。 覚えている場所は、金比羅山こと琴平宮の石段を登ったこと。 大歩危小歩危峡谷を車で走ったこと。 高知の浦度湾(?)で手漕ぎ舟で釣りをして大雨に降られて沈没しそうになったこと。 帰路の高知空港が豪雨で飛行機が離陸できるかどうか心配していたこと。 そんな部分的な記憶しかないのだが、実際には四国旅行とリンクしていない記憶が多数あるに違いない。 ああ、人間はどうしてこうも簡単に記憶を霧の中に置き去りにしてしまうのだろうか・・・・・ と、思い出にふけりながらこれまた記憶にあるような、無いような店に吸い込まれていく。 いや。それはウソだ。この店は2年前に遍路で訪れて龍馬のTシャツを購入した明確な記憶のある店なのだ。 危ういのはこの店が20年弱の昔にも存在したのかどうか。はっきりしているのは、ここ桂浜で購入した闘犬土佐犬の横綱の人形は未だに千葉の実家に存在していることだ。 そして坂本龍馬像の銅の置物も確かに購入して持ち帰った・・・・・・・ 相変わらず思い出に浸りながら階段を登っていく。 この階段を登れば龍馬像があるはず・・・・・・ あれっ、2年前の記憶も怪しいのかよ? いや、違うんだ。遍路で来た時は桂浜の西側から歩道がついていたので半島をぐるっと半周したのだ。 だから駐車場からのルートは明確でないのは当たり前じゃないすか。ねぇ、先生。(誰れもいねーぞ) あ、そうそう。こんな感じですよ。ちゃあんと看板出とるじゃないすか。 ま、折角なので焦らずまずは桂浜に下りてみた。 尖端の部分が竜王宮という神社。この神社は何度も台風やら高波やらで流されているらしい。 そしてこの砂浜を一人夕方、遍路姿で棒になった足を引きずりながら歩いた記憶と、家族旅行でここを訪れた記憶とが交差する。 この桂浜は今でこそ遊泳禁止だが、20年近く前は皆ここで水着で海に下りていた。しかし、ここが遊泳禁止になったその理由を私は体感していた。 ここの砂浜は砂利状の粒の大きな砂で形成されているため、なだらかな勾配の遠浅ではないのだ。つまり、水辺からすぐにガツンと深くなっている。 私もあの時水着であったかどうかは忘れたが、家族で遊んでいる内に急深に足をとられそうになり冷や汗をかいたのを明確に覚えている。 実際、ここでは何人も溺死しているらしい。そして人知れず溺死した遺体は流れの関係上、土佐市の宇佐海岸辺りに上がるらしい。 宇佐と言えば四国八十八ヶ所の第三十六番札所青龍寺の近くである。ここの御神体が波切り不動なのは皮肉なことだ。 ともかく、再び階段を上がって行くと松の枝の間から見えてきた。 2年ぶりや。 2年前の夕方は全然人居なかった。 龍馬よ、あなたは龍馬伝ブーム、どう思っているの? 坂本龍馬はまっすぐ目標をもって突き進んだ人、として偉人とされることが多いと思う。でも私はそうじゃないと思う。 結果的に彼が目的を果たせたのは、目標の明確なビジョンがあったという事と共に、その手段を選ばぬ柔軟性を持っていたことが最も重要であったと思う。 つまり、彼は目的を達成するために自分の感情をも一旦脇に置いて異なる意見をもきちんと相手の立場になって聞いたというのだ。 前回紹介した高知県立坂本龍馬記念館のホームページの中にこんな記述がある。 「龍馬がこのような大きな仕事を成し遂げられたのは、他の人と違う点をいくつか持っていたからです。まず、立場の違う人の言うこともしっかりと聞き、良い所を吸収する柔軟な考えを持っていたこと。そして、多くの人が実現不可能だと思っていることでも成功させられる行動力を持っていたこと。新しい時代の明確なビジョンを持っていたこと。そして最も重要なのは、優れた人脈を幅広く持っていたことです。」とある。 私は、坂本龍馬は人を説得するには、まず相手の心に寄り添うということの重要性に気付いていたんだと思う。 だが、これは頭で考えるほど簡単なことじゃない。意見の違う人の話を同じ立場になって理解するなんてのは余程精神的に成熟していないとできることじゃないからだ。 場面や相手によって異なるだろうが、例えば下の立場の人間に自分の意見を否定されると普通の人なら感情的になる、ほぼ100%なる。 だが、坂本龍馬という人はそれを20代で実行していた。 だとすれば。彼はブッダやキリストほど人間離れはしておらず、我々が次に目指すべき精神性を有する身近な偉人として存在した、と言えるのではないだろうか。 彼こそは我々の精神が進化すべき方向性を示してくれた先輩である。 桂浜遠征、完。 まぁまぁかな、と思ったら応援よろしこ。 一回ずつ、ポチポチっと↓↓↓ なーんて。 「ねはんの里」ホームページへ お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
Last updated
2010.10.26 12:53:47
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