カテゴリ:東北だいすき気仙沼だいすき!がんばっぺ!
気仙沼へは、電車をつかって行きました。
豊橋から、東海道新幹線で東京駅へ。 東京で、東北新幹線に乗り換え、宮城県をいったん通り越して岩手県の一関駅へ。 そこで、今度は大船渡線というローカル線に乗り換え気仙沼駅まで行きます。
だいたい6時間くらいかかりました。 なので、豊橋を午後1時ごろに出て、気仙沼についたのが、夜のちょうど7時。
少し暗めの階段をのぼっていくと、こんな幕が貼ってありました。
「 まんづ よぐ きたごと 」
なんだか、少しホッとしました。
東北新幹線で隣に座った年輩の女性は、気仙沼の方でした。 少しお話しさせてもらったら、母親と旦那さまを今回の震災で亡くされたと言っていました。
(ああ、ここはほんとうに被災地なんだ) と、改めて実感した瞬間でもありました。
到着した日の晩は、気仙沼駅の周辺を歩いて周り、一軒の料理やさんに入りました。
そして次の日、日の出とともにまずは気仙沼を歩いてみることにしました。
ここからの写真は、2011年の12月4日、つまり震災から約9ヶ月たった時のものです。
現地の方の心情を考慮したつもりではありますが、この写真を見て、不快な気持ちを抱かれる方がいましたらお詫びします。 また、すぐに削除いたしますのでお手数ですがコメント欄までお願いいたします。
泊まらせてもらったホテルは気仙沼駅の目の前でした。 気仙沼駅は高台にありまして「旧市街」とも呼ばれ、現在の町の中心部は、もっと海の近くの方です。
まずは、港の方に行ってみることにしました。
少し歩くと、町のいたるところに、こういった張り紙がしてあることに気が付きます。
こちらは商店のドアに貼られていたもの。 ずいぶん時間もたっているように思いました。
港の方に近づくにつれ、建物の損壊などは顕著になってきます。
港から数十メートル離れた場所です。 打ちあげられてそのままの船も何隻か目にしました。
地盤沈下により浮き上がったマンホール。 気仙沼は、湾の周辺では最大で70センチ以上も地盤が沈んだと言われています。
おそらく震災前は仲のいいカップルなどで賑わっていたのではないでしょうか。 カーフェリーなどが発着する、気仙沼港の観光名所のひとつです。
こちらは気仙沼の漁港から。
大きな船の後ろには、 大きな虹がかかっていました。
気仙沼漁港は、日本でも有数の水揚高を誇る大市場です。 サンマやカツオ、サメ、スルメイカ、たこ、穴子などは日本でも1、2位の水揚高です。
そんな気仙沼漁港の周りは、気仙沼市の中でも最も大きな被害を受けた地域です。
建物も全壊か、一階部分はほとんどありませんでした。
車が通るための道路は1メートルほど盛り土がしてあるので歩いても大丈夫なのですが、 かつての地面だった高さの所は、地盤沈下のため水たまりになっています。
ぺしゃんこに潰れた車。 漁港の近くのため、保冷車や輸送車などの業務用大型車もおおくあったと思われます。
津波の大きさを物語る、かたむいた一本の木。
缶ジュースのように見えるこちらは、コカコーラの自販機です。
海の近くには、このような看板もいくつかありました。
そして、港の近くはまだ電気が通っていないので警察官の方が手信号で交通整理をされていました。 こちらの警察官の方は、東京の警視庁からの方や、千葉県警の方が職務にあたっておられました。
先人達の知恵なのか、お墓は津波被害のなかった高台にありました。
この高台から見た気仙沼の町並み。
こうして見ると、ほんとうに牧歌的なんですけどね。
朝の6時頃にホテルを出て、1~2時間で戻るつもりが、気が付いたら12時になっていました。
この後、一旦ホテルに戻り、レンタカーを借りてもうすこし遠くまで行くことにしました。
行き先は今回の震災でもっとも被害の大きかった町のひとつ。
陸前高田市です。
お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
[東北だいすき気仙沼だいすき!がんばっぺ!] カテゴリの最新記事
|
|